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対談・鼎談

ツカコウヘイセイデンイチキュウロクハチイチキュウハチニつかこうへい正伝 1968-1982

長谷川康夫

2,640円(税込)

「役者じゃねえ、俺がウケてんだ!!」 熱狂の“つか芝居”が今、蘇る!

『熱海殺人事件』『蒲田行進曲』を生んだ天才演出家つかこうへい。しかし、その真の姿が伝えられたことは、かつてなかった――。つかの黄金期に行動を共にした著者が、風間杜夫を始め関係者を徹底取材。怒濤の台詞が響き渡る“口立て”稽古、伝説の舞台、そして人間つかこうへいを鮮やかに描き出す、比類なき評伝。

『つかこうへい正伝 1968-1982』新田次郎文学賞受賞記念鼎談

つかこうへいとは、何者だったのか?

水道橋博士 × 樋口毅宏 × 長谷川康夫

博士 『つかこうへい正伝 1968-1982』は、つかさんから大きな影響を受けて来た僕と樋口さんにとって、待ちに待った本であり衝撃的でした。今まで信じてきたものが悉く覆されているんですよ!

長谷川 博士と樋口さんは1970~80年初めの「つかブーム」以降の世代ですよね。何でまた、つかファンに?

樋口 つかさんの著作から入ったんです。そこによく登場する「お調子者の長谷川」もずっと前から読んで知っていました。今日は感激です! あの長谷川さんにお会いできて......。僕は遅れてきたつか世代なので、周りにつかさんが好きな人がいなかったんです。

博士 僕の家に来たときは驚いてたよね。

樋口 本棚につかこうへいの単行本が並んでいるのを見て「宝の山がある。仲間だ!」と異常に食いつきました。

博士 僕は樋口さんより年上だけど、「つかブーム」時は中学生でつか芝居には間に合ってないんです。僕も本から入ったクチですね。その後の漫才ブームでツービートが出てきますが、ブスの悪口を延々言ってから客席を指さし、「笑えるか、そこ?」という台詞に衝撃を受けた。でも、同じことをそれ以前につかさんがやってたと『つか正伝』で知り、さらに衝撃を受けました。

長谷川 『熱海殺人事件』で「ブスに生きる権利はない!」と言ってすぐ、「お前のことだよ」。指されたお客さん、喜ぶんだよね。

博士 それは"あえてブス殺しの汚名をきて"やってたわけですね。80年代初頭に起こる空前の漫才ブーム、その前夜にカルチャーショックを与えてます。あの頃、つかさんが雑誌のインタビューで「漫才師なんてただのサルだ」と言ってたのを記憶してて、ずっと後になって、たけしさんと飲んでたら「明日つかこうへいと対談するんだよ」って言うのでそのインタビューのことを話すと「対談辞めた!」って(笑)。結局対談は流れた。両雄並び立たずだった。たけし信者としては僕はつかさんの"隠れファン"として、ずっと読んでました。

樋口 つかさんが亡くなった時、あまりに世間の反応が薄いんで僕と博士で怒っていたんです。つかさんが亡くなったなら、国民が喪に服すぐらいじゃないとダメだろうと。きちんとした追悼本が出ないのもおかしいですよねって。

博士 没後から『つか正伝』が出るまで五年かかってますが、つか第一世代である長谷川さんも、当時のことを書くのに躊躇してた部分があったんですか。

長谷川 うーん、あえて残す必要はない......なんて思いはあったかな。

樋口 つかさんが自分の芝居を記録に残さなかったように。

長谷川 そう。芝居なんてものは、その場限りで消えてしまうからいいんだってね。それに僕が語れるのはせいぜい劇団解散の82年ぐらいまでで、実際つかさんのキャリアはそれからの方がうんと長い。その人間や人生を語るなんて、おこがましい。

博士 いや、結果、相当語ってますよ! 『つかこうへい正伝』、576頁ですよ!

樋口 僕たちにとってつかさんといえば、とにかく『つかへい腹黒日記』。虚実入り混じった内容が面白くて面白くて。その面白さを伝えたくて、博士が編集長の「メルマ旬報」で「ひぐたけ腹黒日記」を連載しているほどで、どれだけ影響を受けているか......。

博士 その『腹黒日記』を、実は長谷川さんが書いていたということを、僕らは『つか正伝』で知るんです。

樋口 大衝撃ですよ! 僕は『腹黒日記 PART2』の、税務署から逃れるためにクルーガーランド金貨を事務所のトイレの貯水タンクに隠してたっていう話が大好きで。金貨が最も美しく見えるのは水に浸かっている瞬間なんだって。

長谷川 全くのフィクションね(笑)。

樋口 えーー!!

長谷川 当時も皆、信じてたらしく、事務所に来た人間はまずトイレに行きたがる。で、必ずガッカリして出てくる(笑)。

樋口 どうせ私を騙すなら、死ぬまで騙して欲しかった......。

長谷川 いや、この本の中で、そこはかなり誤解されてるみたいだから、ちゃんと説明しておくと......僕とつかさんは、世間を騒がせた作曲家たちのような関係では決してなくて(笑)。まず、演出家と役者、という関係性が前提にあるんです。つまり稽古場で台詞を言わされるのと、同じ感覚で文章を書かされるわけ。

博士 つか芝居は「口立て」といって、つかさんが稽古場で台詞を役者に伝えながら芝居を作っていくんですよね。

長谷川 まぁ原稿の場合は設定の説明があって、「で、○○がこういうこと言うんだ」とつかさんが語りでやってくれる。それを文章にしていくんだけど、そのとき自分は「つかさん」なのね。絶えず、つかさんがやりたがっていることを考えて表現していく。役者が台詞を声に出すのと一緒。そしてその原稿につかさんから大量に赤字が入る。またそれが最高に面白いのよ。少し近いのは、漫画家とアシスタントの関係かなぁ......つかさんの「ネーム」に僕らが背景を足すような。

博士 さいとう・たかをプロだ。

長谷川 つかさん、あとになって「オレの本なんて全部長谷川が書いてたんだ」みたいなことよく言って、周りは驚いてたけど、本当にそうなら言えないよね。つかさん自身も、稽古場で役者相手にして芝居作るのと同じ感覚だったと思う。

樋口 つかさんの文章は本当に素晴らしいですよ。僕は『ロマンス』『蒲田行進曲』といった小説より、虚実入り混じった『腹黒日記』『男の冠婚葬祭入門』などのエッセイが好きなんですけど、文章に無駄がなく、スピード感があって読みやすい。「難しいことをわかりやすく、わかりやすいことを面白く、面白いことを深く」が全部出来てる。上手さを分からせない上手さなんです。僕はつかさんの本で文章を学びました。高尚で難解な蓮實重彦の本を読んでも、絶対文章なんて上手くならないから!

長谷川 ......このトーク、『波』に載るらしいよ(笑)。

樋口 今のはカットでお願いします!

見栄っ張りで毒舌、でも......

博士 つかさんが凄いのは、芝居を「口立て」で作ってるから、全ての役を自分が、完璧に出来ちゃうところですよね。

長谷川 で、どの役者よりも上手い。

博士 もう、それなら一人でやればいいじゃないですか!

長谷川 いや、人前だと絶対にできない。そこが役者と演出家の違いだよね。

博士 「寺門ジモン最強説」だ。ヒクソン・グレイシーに勝てると豪語するけど、実戦は絶対やらないという(笑)。
 つかさんの口立て稽古を受けた役者たちは、日常でもつか芝居の人格になっていくんですね。三浦洋一さんとか......。

長谷川 風間(杜夫)さんなんかも、元々は人見知りで、シャイな人だったのが、つかさんに作り上げられて、すっかり変わっちゃった。今は一緒に飲んでても、ずっと"銀ちゃん"やってるからね。

樋口 役が憑依して抜けないんだ。

長谷川 でもつかさん自身の中にも、昔の風間さんみたいなところがあって、二人っきりだと全くしゃべらない。一緒に飲みに行っても、「あいつ、何か言ってたか」「いえ」なんてやりとりがあるだけで、2、3時間、黙って飲み続ける。

博士 そこで少しだけ話したことを根に持ってるのが怖いんですよね。

長谷川 そう! 誰々がこんなことを......なんて話そうものなら、翌日の稽古場で「おい、長谷川から聞いたぞ!」が始まって、痛い目に会う。それが分かってからは余計なことは絶対に話さない。

博士 ホントの恐怖政治ですよ!(笑)

長谷川 例えば「長谷川、テメェが飲み屋でチャラチャラお調子者やってるから、そんな芝居しかできねぇんだ!」と始まった瞬間、稽古場の全員が次の矛先を向けられないよう気配を消す。今みたいに樋口さんがへへっと笑ったりするでしょ。すぐに「ヒグチ、おめぇのことだよ!!」。......それがまた、どの役者より響くいい声なのよ(笑)。かと思うと突如、優しさに溢れた男になる。大好きなんです、俺は実は人情家なんだってのが。

樋口 つかさん自身、「さんざん笑わせといて泣かせるのがオレ、うまいよなあ」と書いていましたね。

長谷川 よく悪ぶって言ってた。「また泣くんだよ客が、簡単によぉ!」って。

樋口 『腹黒日記』のまんまですね!

長谷川 『腹黒日記』で唯一正しいのは、「つかこうへい」の人格だよね。あの中のつかさんは、つかさんのまま。実際に金貨をトイレに隠しててもおかしくない。

博士 架空だけど「リアル」なんだ。

樋口 びっくりしたのは、僕もずっと信じていたペンネームの由来、つかこうへいが「いつか公平」のアナグラムであることを長谷川さんが『つか正伝』で完全否定していたこと。この手の話は美談にしやすいのに、断固拒否していて清々しかったです。

長谷川 「つかこうへい」を名乗り始めた頃の関係者に訊ねても、「いつか公平」説なんてまるで出てこなかった。つかさん本人からも、そんな話は一度だって聞いたことはないしね。おそらくつかさんはあるとき耳にして、そのこじつけに失笑したんじゃないかな。現在あまりにもこの説が独り歩きして、みんな事実であるかのように錯覚してるけど、たぶんつかさん自身はただ面白がって、勝手にそれを言わせてたみたいなところがある。

樋口 つかさん自身色んなところでペンネームについて書きながらも、結局は煙に巻いているんですよね。『つか正伝』を読んだらつかさんを分かったような気になるけど、でもやっぱりますます摩訶不思議で正体不明な人という気もしてくるんです。下世話で気まぐれで、癇癪持ちで権威主義で、見栄っ張りで毒舌で、でもロマンチストで。怒りんぼで威張りんぼでひねくれてて......でも、人間らしいんですよね。だからあんな舞台が作れた、あんな作品が書けたと思うんです。

細部を補完する面白さ

博士 つかこうへいは1982年に劇団を解散し、89年に演劇活動を再開します。90年代以降はジャニーズをはじめ、芸能界の人たちを役者として育てていった側面もありますよね。阿部寛、黒木メイサ......たけし軍団の三又又三もつか劇団に入ったけど逃げ出した。

長谷川 育ててないじゃん(笑)。

博士 V6のイノッチから聞いたんですけど、ある時、つかさんがジャニーズの稽古場に突然来て、SMAPの木村拓哉君と中居君に「よーし、"階段落ち"やるぞ」って『蒲田行進曲』を口立てで始めたんですって。ビデオがあったら観たいよ! そういう後期のつかさんの功績は誰が語るんですかね。僕も取材したいんだけど......そうか、NEWSの加藤シゲアキ君に書いてもらえばいいんだ!

樋口 『ピンクとグレー』じゃなくて、「ギンとヤス」を!

博士 そうそう、『蒲田行進曲』のヤスは、長谷川康夫の名からきているんですよね。そもそも『蒲田行進曲』は、歌手のあがた森魚さんがつか芝居に出たことが発端で、あがたさんのLPに収録されていた同名の曲をつかさんが知り、先に題名から決まった。

長谷川 本来は松竹蒲田を舞台に、「サンセット大通り」みたいな芝居を作るはずだったのが、「徹子の部屋」で汐路章(しおじあきら)という俳優さんが「階段落ち」の話をしたのをつかさんが見て、東映京都撮影所の物語になるんです。「銀ちゃん」は萬屋錦之介の「錦ちゃん」から。「ヤス」の方は最初、僕をその役で芝居を作ってたら、名前がまんま役名に残っちゃった。

博士 こういう細部が面白いんだよなぁ! 舞台裏や過去を遡って、細部を補完して、人と分かち合うのが、評伝を読む楽しさだと思うんですよね。長谷川さんが『つかこうへい正伝』を残してくれたことで、どういう経緯で作品が生まれたのか、「口立て」がどういうものなのかが分かったし、色んなものがやっと腑に落ちた感じがあるよね。

樋口 "役者が持っている言葉以上の台詞は生まれない"。大きな「答え」をもらいました。

博士 全盛期のつかさんの舞台だって、映像がほとんど残ってないからどんなものだったか分からなかった。浅草キッドもほぼ漫才をDVDにしたことがないんですけど、なぜ残さないの?って聞かれたら、いつも「つかこうへいが芝居を『風に書いた文学だ』って言ってたから」と答えてた。でも、残ってると、それはそれで、同時代に乗り遅れてきた人にとっては遺産ですよ!

長谷川 でも逆に何も残ってないから、本が書けたり、話したり出来るんですよ。もし映像とかきっちり残ってたら、こんなに偉そうに語れないよね。だいたい今日のこれだって、文字に残すと、「なんと中身のない」ってなるかも(笑)。

博士 わかりました、『波』への掲載、やめましょう!(笑)

 七月七日 神楽坂ラカグにて

 (すいどうばしはかせ 浅草キッド)
 (ひぐち・たけひろ 作家)
 (はせがわ・やすお 脚本家・演出家)

長谷川康夫『つかこうへい正伝 1968-1982』978-4-10-339721-2