書評

2016年7月号掲載

想像力を刺激する“凝縮”の歴史

宮田律『オリエント世界はなぜ崩壊したか
異形化する「イスラム」と忘れられた「共存」の叡智』

大倉眞一郎

対象書籍名:『オリエント世界はなぜ崩壊したか 異形化する「イスラム」と忘れられた「共存」の叡智』
対象著者:宮田律
対象書籍ISBN:978-4-10-603790-0

 イラク戦争以来、もはや誰もイスラム世界について正確な情報を持っていないように感じる昨今、ようやく宮田さんによってこの本が書かれたことに胸を撫で下ろした。
 繰り返し報道されるテロ、誤爆、イスラム国についてもある種の「慣れ」が私たちに生まれてしまい、イスラム圏以外でテロが起きた時にだけ、深刻な顔で延々とその「原因」について語られるのだが、「原因」をこの二〇年、あるいは一〇〇年程度のスパンで語られては堪ったものではない。
 現在のイスラム世界がイスラム世界となる四〇〇〇年以上前からオリエントは繁栄を誇っており、アルファベットの原型はメソポタミア文明に起源を持つ。言葉を持つということは人々が「残し」「伝える」という概念を持ったということである。オリエント世界はそういう場所だったのである。現在にいたるまでありとあらゆる事件を経験し、様々な宗教を生み、そのDNAを残して来たのである。
 その永遠とも思える間のすべてを宮田さんはこの本に凝縮し、我々の想像力を激しく刺激することになった。
 ペルシア民族、アラブ民族、トルコ民族等、広義のオリエント世界には主要登場民族が入れ替わり現れ、王朝を築き、滅んでいくが、その間一部の例外を除いて、宮田さんが一貫して主張しているのはオリエント世界の「寛容」である。他文化、他宗教を排斥することなく、むしろ礼を持って迎え入れることがオリエント世界が共有する最も重要な価値観であった。様々な異文化が交わる場所はどれほど魅惑的であったことであろうか。
 イスラム教がオリエント世界の支配的宗教となってからもその寛容の精神は失われていない。宗教もその地の過去の歴史から切り離すことはできないのである。
 それが崩れていくのは「西洋」からの干渉が始まってからである。「西洋」にとってかつての陽が昇る憧れの地は、収奪すべき蛮族の地へと変わってしまった。その視点は十字軍の時代から変化していない。産業革命以降、西洋は本格的に市場、利権を求め、植民地支配へと方向を定め彼らの「常識」に従い次々とオリエント世界を傘下に収めた。思い通りに騙し、分割し、対立を煽る狡猾な手法を用いて、現在に至っている。
 本来寛容であったオリエント世界を非寛容で蹂躙した「西洋」はツケを払うことになり、さらにはイスラム世界にも大きな亀裂を生み出し、解決の光が見えない混沌を生んでしまった。
 この本はある意味危険である。というのは、他文化、他地域でも同様のことが行われていたことに私たちは気がついてしまうのである。そうなればもうこれまでと同じ目で世界を観ることができなくなる。歴史を直視するのは辛いことでもある。
 宮田さんの今回の著書は悠久の歴史を俯瞰的に見せてくれつつ、正に「今」を考察させてくれる必読の書である。

 (おおくら・しんいちろう ラジオパーソナリティ〈J-WAVE「BOOK BAR」〉)

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