書評

2016年7月号掲載

驚きに満ちて感動もある傑作サスペンス

――芦沢央『許されようとは思いません』

池上冬樹

対象書籍名:『許されようとは思いません』
対象著者:芦沢央
対象書籍ISBN:978-4-10-101431-9

 いやあ驚いた。レベルが高いのだ。五作の短篇が収録されているが、いずれも秀作。推理作家協会賞短編部門にノミネートされた冒頭の表題作もいいが、あとに行くにしたがい、密度があがり、技巧も凝らされて、驚きの結末へともっていく。読むのが息苦しくなるほど世界が緊張にふるえている。
 五篇の中でいちばんの傑作は、「姉のように」だろう。事件を起こした姉のようにはならないように、自分の娘への虐待の衝動を抑えようとする話だ。姉は童話作家として活躍した誇るべき存在で、だからこそ事件は衝撃的で、主人公の「私」は周囲の目を意識して生きていくのだけれど、三歳の娘はいうことをきかず、また夫も「私」を理解してくれず、次第に精神的に追い込まれていく。
 ひとつ歯車が狂いだすとどうしようもなく悪い方向へと転がっていく。我慢もし、うまくたちまわろうとするものの、情況は容赦なく、幼児虐待に引き込まれていく主婦の心理を徹底的に捉えていて、読むのが辛くなる。いったい結末はどうなるのかと思っていると、いやはや、最後に足元をすくわれるのだ。どんでん返しがあり、世界が一変する。いままで読んできたものを根底から覆す仕掛けで、あわてて冒頭にもどって確認すると、ちゃんとそこに事実が書いてある。読者を巧みにリードしつつ、躾けと暴力のあわいというテーマを強く訴えながらも、ミステリとしての仕掛けで驚かせる。見事なまでに作り込まれた傑作サスペンスだ。
 画家の深層意識に迫る「絵の中の男」もまた、実によく作り込まれている。美術画廊に勤めながら、なかば家政婦のように女性画家の家に入り込んだ「私」の回想。女性画家は幼いころに一家皆殺しにあった生き残りで、その悲劇を絵画のモチーフにしていたが、やがて描けなくなっていく。そんな時に悲劇が起き、最終的には夫を殺してしまう......。
 冒頭で、女性画家がイラストレーターの夫を殺す場面が回想される。ひじょうに視覚的で鮮やかなのだが、何故そうなったのかは伏せられて、少しずつ女性画家の過去が語られていき、ゆっくりと核心へと迫っていく。
 物語のスタイルは、一人称の告白体で、この形式は落ち着いた語りになり、劇的構造をもちえないのだが、本作は異なる。「私」が目撃するのは、芸術にとらわれた夫婦の地獄図で、残酷な事実が次々に語られ、ドラマティックになっていく。ミステリであるけれど、芸術家の苦悩を捉えた芸術家小説としても読ませるし、夫殺しの真実に迫るプロセスも緊迫感がみなぎり、驚きがあり、まことに素晴らしい出来だ。
 驚きがあるのはほかの短篇にも共通していて、営業マンを主人公にした「目撃者はいなかった」は、受注の数を間違えた営業マンが会社に内緒で処理しようとして嘘を重ねていくサスペンスで、交通事故を目撃しながらも証言をせずにすまそうとするが、そこに思わぬ事件が起きて......という展開。意外性に充ちていて、何よりも怯えている男の心理が生々しく、読者も窮地から逃れたくなるのだが、そうはいかない。究極の選択を迫られる結末、いや、究極の選択を強いる何者かの存在が暗示されて恐ろしい。
 同じく、保身のための悪意が別の形で描かれるのが、「ありがとう、ばあば」。子役として活躍しだした九歳の孫娘・杏(あん)を、必死でサポートする祖母の「わたし」と娘との確執、その間に入る杏の物語である。愛の深さが過剰な干渉になりかねない危うさをあぶりだして、やがてある"事故"を招く。タイトルの真の意味が浮かび上がる最後が見事。
 以上の四作、虐待や悪意などが主で、イヤミスのような印象を与えるけれど、表題作「許されようとは思いません」は温かい余韻が残る。祖母の遺骨をもって「私」が恋人の水絵(みずえ)とともに母の郷里を訪ねる話で、村の寺に納骨するはずが、それに悩むことになる。なぜなら祖母は曾祖父を殺したからだ。「私は自分の意志で殺しました。許されようとは思いません」と背筋を伸ばして供述した祖母の殺人の動機は何だったのかを探っていく。
 ここでも村民たちからの虐待と悪意をうちだしているけれど、祖母の動機をほりさげていく終盤の謎解きは、肉親への愛に支えられ、また水絵との結婚問題もからめてうまく機能しているし、ラストの選択はちょっと感動的ですらある。
 作者の芦沢央(よう)は、二〇一二年「罪の余白」で第三回野性時代フロンティア文学賞を受賞してデビューした作家なのに、短篇の巧さはすでにベテランの域に達している。今年の収穫、注目の作品集だ。

 (いけがみ・ふゆき 文芸評論家)

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