書評

2016年4月号掲載

永遠少女の夢

――川端康成『川端康成初恋小説集』(新潮文庫)

待田晋哉

対象書籍名:『川端康成初恋小説集』(新潮文庫)
対象著者:川端康成
対象書籍ISBN:978-4-10-100127-2

「川端 悲恋の書簡 十一通」。作家の川端康成(一八九九~一九七二年)が初恋の女性とされる伊藤初代(一九〇六~五一年)との間に残した十一通の書簡の現存することを、新聞紙面で紹介したのは、一昨年の七月だった。
「君から返事がないので毎日毎日心配で心配で、ぢつとして居られない」
「恋しくつて恋しくつて、早く会はないと僕は何も手につかない」
 鎌倉市の川端邸から見つかった書簡には、初代が川端に送った十通に加え、川端が初代にあてながら未投函のままだった一通もあった。青いインクの文字でつづられた手紙に、空から垂らされた一本の糸にすがりつくかのような作家の哀切な思いを感じたことを覚えている。
 今回出版された『川端康成初恋小説集』は、その手紙の出現によって改めて裏付けられた初代との恋愛事件を作品化した「南方の火」「非常」をはじめ、計二十一編を収める。川端は大正八年(一九一九年)、旧制一高に通う二十歳のころ、カフェで初代と出会った。彼女はその後、岐阜の寺の養女となり、東京帝大生となった川端は十年九月に岐阜を訪ね、翌月、まだ二十二歳と十五歳の身でありながら結婚の約束をしている。だが、初代は十一月七日、突然、自分には「非常」があると手紙を書き送り、一方的に結婚の約束を破棄し、身を引いたのだった。
「南方の火」には、川端が友人と一緒に岐阜へ幼い恋人を訪ねたことや、結婚の承諾をもらうため初代の父が住む東北を訪ねたことなどが、ほぼそのまま描かれている。長良川が流れ、名産の雨傘や提灯を作る家が並ぶ岐阜の街。寺の壁塗りを手伝わされ、荒れた手を恥ずかしがる初代の姿。若い頃の作品とはいえ、周囲の情景や出来事を書き刻む作家の筆は精密を極めている。
 だが、それらを上回って衝撃を受けるのは、実際に受け取った別れを告げる初代の手紙を、川端がほぼそのまま作中に引用していることだ。
〈私はあなた様と固くお約束を致しましたが、私にはある非常があるのです。それをどうしてもあなた様にお話しすることが出来ません〉
 犀利な筆遣いと、大胆な私信の引用。この二つの矛盾した物が、厚い雲となって心に覆いかぶさってくるのだ。
 幼いときに父と母を亡くし、祖父の死去によって十五歳で天涯孤独の身となった川端にとって、恋愛とは自分を孤独の牢獄から救い出す一本の糸だったはずだ。初代は東北出身で小学校三年のとき勉強をやめ、子守奉公やカフェなどで働く厳しい境遇の中で育った。川端は自分と同じく温かな家庭に恵まれなかった少女のような初代と結婚し、子供時代をもう一度取り戻し、人生をやり直したいと考えていた。
 その夢が一方的に絶ち切られたとき、若き日の作家は、あるいは、気がつけば自分の恋愛を小説に書きつづっていたのかもしれない。実際、「南方の火」をはじめとする作品群は、途絶の跡を感じさせるいくつもの断片で構成されている。そして、書き続けるうちに気づいたのだ。本当に初代を愛していたならば、作家である自分は、彼女のような永遠の少女を小説の中に息づかせなければならない。安心した子供時代に浸ることを許されず、少女から大人へと健やかに発達できなかった自身と似た危ういあどけない者たちに、小説の中で命を吹き込まなければならない。作中に手紙を引用し、少女を生身の言葉を持った小説の人物にすること。川端にとってそれは、紛れもない真実の愛の証だった。
 一方の初代にも、人生の物語があった。彼女は川端と別れた後、最初の夫との死別を経て再婚した。「母は明るい人でした」。今回の書簡の取材の際、お会いする機会があった初代さんの三男、桜井靖郎(やすお)さんは振り返った。七十代になる桜井さん自身も、カラオケの得意な朗らかな人柄だった。川端が投影した永遠少女の夢の像を越え、初代自身も四十四年の人生を全うし、未来に命をつなげたのだ。
 川端と初代、その後の世界を生きた者たち。この作品集には、それぞれの本当の愛の形が刻まれている。

 (まちだ・しんや 読売新聞記者)

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