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書評・エッセイ

崇高と卑俗

――イアン・マキューアン『未成年』(新潮クレスト・ブックス)

松浦寿輝

 二つの極に、あるいは三つ四つの、場合によってはもっと多くの極に、人は引き裂かれながら生きている。一極だけに人生を収斂させてしまえば、もちろんこの引き裂かれは起こらない。しかし、そんな貧しい人生を生きたいとは誰も思うまい。わたしたちは、矛盾し合い軋み合い、ときとして激しく衝突することさえある複数のものたちを、すべて自分の人生の必須の構成要素として抱え込み、それらの間に働く斥力と緊張に耐えながら、引き裂かれを何とか釣り合いへと転じられたらと願いつつ生きている。
 例外的瞬間を除けばまず解決不能な、しかし誰しもの生に不可避なこの難問に、小説的表現を与えようと試み、繊細に仕組まれたプロットとツイストの利いたふんだんな細部の配置によって、その試みに鮮やかな成功を収めてみせたのが、本書『未成年』だ。その成功は何よりもまず、女性裁判官というかなり特殊な存在を物語の主人公に据えるという卓抜な発想に由来する。
 五十代末のフィオーナ・メイは結婚生活の破綻に直面し、苦悩のうちにある。同時に彼女はまた、輸血しなければ生命が危険なのに「エホバの証人」の信者であるがゆえにそれを拒否しつづけている未成年の患者に対して、いかなる法的措置をとるかというきわめて困難な判断を迫られてもいる。夫の浮気に由来する彼女の私生活上の悩みは、誰の身にも起こりうるきわめて平凡で卑俗なもので、それに動揺した彼女の右往左往ぶりは、やや滑稽でさえある(『ソーラー』や『甘美なる作戦』で縦横に発揮されたマキューアンの喜劇的センスはここでも健在だ)。他方、裁判官として彼女が向き合わなければならない課題は、信教の自由、自己の身体に関わる決定権、成年と未成年の境界、生命尊重の倫理、等々、複数の大きな原理が複雑に絡み合う迷路のような問いである。ひとたび成立してしまった判例は、強い拘束力によって以後の司法判断を縛ることになる以上、彼女の責任はきわめて重大だろう。
 一方に卑小な私的苦悩があり、他方に崇高な公的使命がある。まったく触れ合うところがないし、そもそも触れ合うことなど決してあってはならない二つの問題だ。私的感情の混入によって司法判断が濁ってはならず、また法官としての職務は私生活上の困難を解決してくれるわけでもない。しかし、彼女はみずからの人生においてその二つを同時並行的に生きなければならない。正義の実現と社会秩序の維持に奉仕する裁判官であり、同時に、ささやかな幸福を希求する弱く脆い一女性でもある彼女は、そのはざまで引き裂かれ、途方に暮れて立ち尽くす。
 本作の圧巻は、この「輸血訴訟」の結論として彼女が書き上げた詳細な判決文である。関係者全員の錯綜した主張の交錯をあたうるかぎり明晰に解きほぐし、過去の判例と法の準拠すべき原則に照らし合わせたうえで、彼女は或る判断を下す。これは美しい文章だ。あらゆる論点を公平かつ徹底的に吟味し尽くしたこの散文の、とことん論理的な構築性は、それ自体見事なものだが、それだけならば官僚の書く報告書や事務文書の域を出ない。裁判官の使命は最終的には、決断を下すという行為にある。輸血するのか、それともしないのか。決断には責任が伴い、その責任を引き受けるために必要なのは勇気である。私情をいっさい差し挟まずに発露されたこの勇気、そしてそれを為しえたフィオーナの人間的な勁(つよ)さは、感動的と言うほかはない。
 しかし、その判決後、患者の少年がフィオーナと私的交流を持つことに執着するあたりから、彼女は弱く脆い一女性の立場へ突き戻され、あの引き裂かれが、さらにいちだんと鋭く痛々しいかたちで回帰してくることになる。このあたりのマキューアンの巧緻な物語作りにはほとほと感嘆のほかはない。この少年自身も、教義の拘束、生への希求、魂の交流への渇きなど、矛盾し合う要求に引き裂かれながら生きているのだ。
 ごく少数の登場人物だけで織りなされる簡素な物語だが、重く痛切な読後感を残す。知力と胆力、人間性への冷徹な洞察と物語へのビタースウィートな感性を兼ね備えたマキューアンは、巨匠への途を歩みつつある。崇高と卑俗とをともども豊かに包含する魂を秘めた、稀な作家の一人だと改めて痛感した。

 (まつうら・ひさき 作家)

イアン・マキューアン著/村松潔訳『未成年』(新潮クレスト・ブックス)978-4-10-590122-6