書評

2015年11月号掲載

『D菩薩峠漫研夏合宿』刊行記念特集

キュン

――藤野千夜『D菩薩峠漫研夏合宿』

川上弘美

対象書籍名:『D菩薩峠漫研夏合宿』
対象著者:藤野千夜
対象書籍ISBN:978-4-10-328522-9

『D菩薩峠漫研夏合宿』は、東京の私立中高一貫の男子校の漫研の、一週間にわたる夏合宿を描いた小説である。
 キュンとくる。という言葉を、今までの一生で、一度も使ったことがなかったのだけれど、はじめて使うことにする。このシチュエーションは、そしてシチュエーションを構成する男の子たちは、なんてキュンとくるのだ......。
 主人公は、「少佐」あるいは「姫」と呼ばれている「わたし」。「少佐」なのは、青池保子のマンガ「エロイカより愛をこめて」の、エーベルバッハ少佐のごとき四角い顔をしているから。「姫」なのは、男の子たちの中で、「姫」な存在だから(ちょっとだけ、足手まとい。でもまあ、姫な性格だから、しょうがない、という感じ)。そう。漫研の活動の中で、男の子たちは、ごく自然に同性のカップルをつくり、お気に入りをつくり、たわむれあう。それは、主観的には竹宮惠子のマンガ「風と木の詩」のような美しい世界かもしれないけれど、実際にはただのそのへんの男の子たちなのだから、客観的には、けっこう可笑しい。そして、かれら自身は、その可笑しさもちゃんと承知している。
 かれらの物語を読んでいてキュンとくるのは、思春期の同性だけの世界の、多分に擬似的な恋愛が、さりげなく、けれどかなり正確に、描かれているからだ。恋愛、と書いてしまったけれど、ほんとうはそれは、恋愛とは少しちがうものだ。恋愛とはちがうけれど、ちがうからこそ、その関係は得がたい輝きを持つ。
 たくさんのマンガや散文の中で、少年や青年どうしの恋愛は美しく描かれてきたけれど、ここにあるのは、もっと「ほんとうっぽい」ものだ。美しすぎることはないし、かといって、見当外れなリアリズムを追求するのでもない。ただありのままの、中高生の男の子たち。その姿を、藤野千夜さんは生き生きと活写する。
 私は女子校育ちなので、この小説にある、同性カップルののびのびした感じはよくわかるのだけれど、もし自分が書くとしたら、それは必然的に女子校の夏合宿となり、作中で幾多の恋愛的なことを描くとしても、男の子たちのものとはずいぶんと違うものとなったにちがいない。その意味で、この小説は思春期の男の子たちに関しての、とても貴重な記録であるともいえる。
 合宿なのだから、漫研としての活動も、ちゃんと行われる。恋愛ばかりに目がいっている男の子ばかりではないのは、男女両方が存在する団体と、まったく同じだ。顧問の先生の篤実さが、いい。それから、卒業してしまった先輩たちの「先輩らしさ」も、いい。どの男の子も繊細な心を持つのだけれど、そのあらわれかたがそれぞれに違うのも、いい。
 楽しくまた可笑しく読んでいくうちに、ふと気がつくと、透明で冷たくて美しい水の中に沈んでゆくような、不思議な心もちに、私はなっていた。男の子たちは、笑いながら、ふざけながら、存外きびしく自分の本質と向き合っているのだ。その過程が、せつなくもみずみずしくて、読み手の心を静謐にさせる。
 章題がまた、絶妙だ。第一章の題は、「おにいさまへ......」(池田理代子)。第二章「おしおきしちゃうから!」(岩館真理子)、第三章「こいきな奴ら」(一条ゆかり)、以下、「花ぶらんこゆれて......」(太刀掛秀子)、「ススムちゃん大ショック」(永井豪)、「共犯幻想」(真崎守)と続く。元のマンガを読んだことのある方には、この進みゆきの感じがわかっていただけるだろうか。緊張と緩和、そして最後の章へのテンションの高まりかたを、ぜひ味わっていただきたい。
 読み終わってから、ためいきをついた。人間ってなあ。というためいきだ。このためいきをつかせてくれる小説は、稀だ。一見、渾身に見えないけれど、渾身の作品である。その、見えなさ加減がまた、藤野さん独特の持ち味なのだと思う。

 (かわかみ・ひろみ 作家)

最新の書評

ページの先頭へ