書評

2015年8月号掲載

ふたつの信念の物語

――須賀しのぶ『神の棘(とげ) Ⅰ・Ⅱ』(新潮文庫)

大矢博子

対象書籍名:『神の棘 Ⅰ・Ⅱ』(新潮文庫)
対象著者:須賀しのぶ
対象書籍ISBN:978-4-10-126971-9/978-4-10-126972-6

 人は、生まれる国を選べない。生まれる時代を選べない。
 生まれる民族を選べない。生まれる環境を選べない。
 選べるものがあるとするならば――思想だ。
 何を信じ、何を守り、何のために生きるかの選択だけは、人は自分で決められる。
 だがそれを貫くのは、最も困難なことかもしれない。

 単行本の出版から五年。全面的な改稿を経て、須賀しのぶの力作長編『神の棘』が文庫になった。まずはっきり言っておこう。物語の骨子こそは変わらないが、展開も人物も驚くほどブラッシュアップされており、既刊とは「格」が違う。単行本でお読みになった方も、ぜひ文庫で再読願いたい。
 さて、物語の舞台はドイツ。一九三六年、青年マティアスがケンカで死にかけていたところを、通りすがりのテオドール神父に助けられる場面から始まる。
 マティアスはそれが縁で、テオのいる修道院で治療され、そのまま修道を志願することに。ところが、誰からも愛され将来を嘱望されていた彼は、車で山道を走行中に崖から転落、同乗の若き修道士とともに死亡してしまう。
 それから半年。マティアスはテオの弟で、かつての学友だったアルベルトと再会した。アルベルトはマティアスに、兄の死について、知りたい真実があると話し出す。
 そしてここから、マティアスとアルベルトというふたりの主人公の十年余りが語られるのだが――。
 序盤から複数のサプライズがあって(しかも単行本からは大きく書き直されている)、どこまで明かしていいものか迷うのだが、これを隠したままだと本書のテーマに触れられないので、書いてしまおう。
 アルベルトはナチス親衛隊(SS)の中でも宗教の弾圧を主目的とする保安情報部(SD)の一員。つまり本書主人公ふたりは、弾圧する側とされる側の関係にある。
 神の力を信じようとするマティアスと、国家に忠誠を誓った側のアルベルト。アルベルトは冷徹にユダヤ人、宗教、社会的弱者を弾圧し、マティアスはその前に立ちはだかる。
 骨太で重厚な物語だ。読みながら何度も、重い空気の塊を胸にぶつけられたような気持ちになる。それぞれの人生を描きながらも要所要所で交差する彼らの姿に何度も心拍が上がり、二転三転する展開に息を飲んだ。冒険小説としても歴史小説としても圧倒的な仕上がりと言っていい。
 しかし、ただ因縁のあるふたりを描いた、というだけではない。ここから浮かび上がるのは――
 宗教の限界と、政治の危うさ。そしてその類似だ。
 神という絶対的な正義を頂いているはずなのに、人々を救えない。死にゆく者に寄り添うことはできても、それは対症療法に過ぎない。一方、理想を抱いて進んでいたはずの国家はいつしか狂気に走り、世界から孤立していく。
 ナチスは悪だ、と我々は「知っている」。けれど本書を読むと、そんなナチスがなぜ生まれ、支持されたのかという根本的な問題につきあたる。第一次大戦後のドイツが、あまりに悲惨だったからだ。国民が、現状を打破し救ってくれる何者かを熱望していたからだ。
 だとしたら、宗教も政治も同じではないのか。マティアスもアルベルトも辛い生い立ちを持つ。その中で自分が信じて守るべきものを見つけた。その点では同じではないのか。
 ここで目を引くのがアルベルトだ。おそらく読者は、マティアスほどにはっきりした「動機」が描かれないアルベルトの行動について、何が彼を駆り立てているのか疑問に感じるだろう。ナチスに対する熱病のような狂信には見えない。深い思索家のように思えるアルベルトは、いったいなぜSSの最前線で人を殺していったのか。その動機が終盤で明かされたとき、読者は驚き、あらためて感じるはずだ。
 人は生まれる国も、時代も選べない。ただひとつ選べるのは何を信じるかという思想であるということに。マティアスもアルベルトも、「宗教」「政治」という大状況以前に、自分が選んだ「信じるもの」のために、必死で生き、必死で戦ってきたのだということに。
 これは信念の物語だ。歴史に翻弄されなながらも貫き通した、ふたつの気高い信念の物語なのだ。

 (おおや・ひろこ 書評家)

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