書評

2015年8月号掲載

刊行記念特別エッセイ

『スカラムーシュ・ムーン』を書き終えて

海堂尊

対象書籍名:『スカラムーシュ・ムーン』
対象著者:海堂尊
対象書籍ISBN:978-4-10-133315-1

 デビュー十年。他人の子は育つのが早いと言うが、私にとって作家人生は他人の子なのか、妙に早い。新作出版にあたり来し方行く先を好きに書いていいという得難い機会を頂戴したので、日頃、座右の銘としている「物議を醸す」という視点から本作の成立経緯と作家生活を総括してみる。
① Ai(オートプシー・イメージング)
 病理医だった私は、解剖の実施率の低さと情報開示性の乏しさを痛感していたが、死体の画像診断(Ai)という概念を思いつき、学会等で提唱した。死因究明に新しい視点を提供するのでAiでミステリーが書けると確信していたある日、天から降ってきたのがデビュー作『チーム・バチスタの栄光』だ。
 バチスタが話題になるとAiを面白く思わない病理・法医など学会上層部や厚生労働官僚など体制派、既得権益層から陰に陽に足を引っ張られた。そのひとつが病理学会理事長による批判封じのスラップ訴訟だ。裁判では日本の司法制度は社会正義を追求しているのではないという衝撃の真実を体感した。研究実績がないのに厚労省班研究の主任研究官になれるのはおかしい、というのが主の批判なのに、厚労省の癒着という枝葉の表現が争点になってしまったからである。体制派の意識改革は困難で死因究明問題を取り上げた6月2日『クローズアップ現代』は相変わらず法医学一辺倒でAiには触れずじまいだった。けれども番組がAiに触れないのはおかしいと指摘するツイッターが多数あって笑った。
 このスラップ訴訟は週刊文春が記事にした。むかつく内容だったが潰す画策はしなかった。自由な言論こそ社会を健全に保つ秘訣だからである。むしろ週刊文春は作家タブーのない素晴らしい雑誌だと感心していたが昨今、百田尚樹氏『殉愛』騒動ではみごとなヘタレぶりを発揮している。何とかしてもらわないと当時、文春は私を作家として認識していなかったということにもなりかねない。だとしたらひどい話だ。ちなみに夏から「オール讀物」で新連載を始めるから、私は過去を根に持っていないことは明らかだ。これは義憤である。週刊文春の奮起を望む。
 話がずれた。Aiである。法律でAiの社会導入が決まったが、遺族や社会に対し情報開示が担保されず、警察の恣意に任されそうになるという危機的状況を、日本医師会が議員に働きかけてくれ情報公開を担保する付帯決議がついた。市民社会は日本医師会によって救われ、私のAiミッションは終了した。以後、突撃隊長は引退、現在は応援団である。

② 桜宮サーガ
 私の作品群はすべてつながっている。現実世界はひとつだから物語世界もひとつになるはずという単純な発想で、二作目『螺鈿迷宮』を書いた時に一作目とリンクさせてみた。かくて書評家・東えりかさんが「桜宮サーガ」と名付けた壮大な世界が始まったわけだが、この手法にはメリットとデメリットがある。
 利点は物語を立ち上げやすいことだ。物語作りは飛行機の操縦と似て離陸と着陸が難しいが、高地から滑空するグライダーだから離陸は多少楽である。登場人物、地域的背景も新たに設定する必要もなく、物語の展開に集中できる。
 短所は裏返しで、物語を超えて人物造形に一貫性を持たせるのは相当難儀である。似た作品や文体だとマンネリと罵られそうだし、時系列に齟齬をきたしやすい。そんな齟齬のつじつま合わせのために書いたのが『モルフェウスの領域』で、これにも続編ができたりと膨張一途の桜宮サーガを一気に収束させたのが本作『スカラムーシュ・ムーン』である。
 過去篇は1988〜91年で『スリジエセンター1991』で収束した。未来篇は2015〜22年に展開する三作だが完結していない。気がつくと現実時間がすでに未来期に突入している。困ったものだ。
 現代篇は2006〜10年、三地域で展開する。主戦場の桜宮は神奈川と静岡の間で東城大医学部は母校千葉大がモデルである。他に「浪速=大阪、極北=夕張」の地方都市シリーズがある。
 現代篇の集大成でもある本作では当初、物語の三本柱を考えたが、その二本で現実に先行され、特に橋下徹氏が府知事を辞任し大阪市長に立候補した時点で書く意欲が失せた。だって現実の方が面白いんだもん。同時にフィクションの限界を考えさせられた。知事を辞任し市長に立候補するなんて書いたら識者は一笑に付しただろう。つまりフィクションは現実ほど自由ではないのだ。まあ、思いつかなかったのだから偉そうなことを言えた義理ではないが。その橋下氏が大阪都構想で挫折し政治家引退を表明した直後、『スカラムーシュ・ムーン』は挫折を乗り越え、自信作として刊行される。これはひとえに執念深く励まし続けてくれた編集諸氏や、取材協力してくださった人々のおかげだ。この場を借りて深謝したい。
 そう言えば本作を書くにあたりベネチア、ジュネーヴ、チューリッヒの三都を取材した。実はベネチアは構想に入っていなかったが取材したので無理して組み込んだ。構想外だったベネチアがどのように物語の核になったかも楽しんでいただけると幸いである。一文でも精度があがるのなら取材は断然すべし、というのが私のモットーである。
 本作は単独で楽しめるよう工夫してあるが、歴史(過去の作品群)を知ればより楽しめる。背景を知れば理解が深まるのは、どんな作品でも同じ大原則だろう。勉強や努力をすればその分、楽しみも増すのである。

③ 日本医療小説大賞
 日本医師会主催、新潮社協力で2012年にスタートし、今年で第四回を迎えた。毎年、小説新潮六月号に掲載される医療関連小説リストによれば年五十冊前後の作品が出版されている。先日の授賞式では日本医師会の横倉会長が、医師会図書館に作品を揃えることを検討するよう指示を出したので、近い将来、日本医師会館図書館に医療小説文庫ができることが期待される。
 今年の受賞作、上橋菜穂子さんの『鹿の王』はファンタジー小説ながら医療小説としても高く評価された。上橋さんご自身も受賞を喜ばれ、従来の文学賞と一線を画した新ジャンルが樹立されたと言っていいだろう。
 文学界の拡張を願って本賞を提案したが、医師会のイメージアップにもなり、いいことずくめである。提案者である私は前面に出ないよう心がけ、候補エントリーは遠慮し選考委員への推挙も辞退した。にもかかわらず現在選考委員を務めているのは、第二回で受賞作なしという愚挙をされてしまったからだ。文学賞選考は選考委員の好き嫌いに帰結するから、商業出版された候補で受賞作なしとするのは傲慢だ。なので是正のため選考会に乱入したが、賞の選考は本来、賞の恩恵を蒙った方が恩返しでやるべきで、文学賞界隈からネグレクトされている人間には選考委員をやる資格も義理もないと思う。やる以上は誠心誠意やるけれど、何だかねじれていて居心地が悪い。

④ 本屋大賞批判
 そういえば本屋大賞批判も物議を醸した。デビュー直後から「本屋大賞のコピーは無神経だから変えて欲しい」と訴えていた。候補になる作家が似たような顔ぶれになるのは、書店員が自腹で買える本に限りがあり、推しの作家と候補になりそうな本を重点的に読むからだ。だからすでに大賞受賞した伊坂幸太郎さんが今も二冊も候補になったりする。本屋大賞クラスター書店員は、伊坂さんを二冊候補にせざるを得ないほど日本の文学界は貧弱だと考えているわけで、失礼千万な話だと思う。かつて書店挨拶に行った時、書店員から「最近の海堂さんの作品は読んでいない」と面と向かって言われたこともある。人の作品を読まないで「一番売りたい本」を決めるなんて、さすがは天下の本屋大賞書店員さまである。
 本屋大賞関連作家を常に優遇するのは、売れる本を「作る」ことで書店員が承認欲求を満たし「本屋大賞が売れる=書店員が偉い」という快感に酔うためだ。本屋大賞の象徴的存在である百田尚樹氏によって書かれた、世紀の事故本と言われる『殉愛』が刊行から半年以上経った今も本屋大賞系書店の平台に並んでいるのが何よりの証拠だ。差別用語には“羹に懲りて膾を吹く”対応をする出版界が、「書店員が一番売りたい本」なる傲慢で無神経なコピーを垂れ流し続ける悪弊を容認しているのは何とも不可思議な風景である。
 書店員は文楽でいえば黒子である。黒子が国立劇場の舞台で前面に出て踊っている、というのが今の文楽界、もとい、文学界だ。歪な姿だと思う。
 かつて私は書店も書店員も大好きだったが、本屋大賞がコピーを変えず、硬直化した権威となり全体主義傾向に陥っていることが露呈した今、嫌悪感は強まるばかりだ。
 残念なことである。

⑤ 最新作と今後について
 体制批判すれば潰される。体制批判しなければ社会が潰れる。痛し痒しだが、かつて無頼漢の作家は堂々と体制批判をした。現今、政治小説というジャンルは壊滅状態だが、政治とは社会に対する愛だから、個人愛にしか興味をもたないようにみえる現代文学の中では衰退しても仕方ない。『スカラムーシュ・ムーン』はそんな風潮に一石を投じる作品だと自負している。
 本作を以て「桜宮サーガ」の物語世界は九割方閉じた。そのあたりの心情は七月刊『カレイドスコープの箱庭』文庫初出の「放言日記2010〜15年」に詳しいので、興味ある方はご一読を。
 私はたいてい十年で飽きる。作家も十年で引退かと思ったが、温め続けていたテーマが孵化したので再スタートを切ることにした。中南米、二十世紀、革命の時代。現在、二百冊を超える参考文献と格闘中で、今年は延べ二ヶ月、中南米のあちこちをうろつき回った。
 他社なので編集長には申し訳ないが、ここで宣伝させてもらう。問題作にして超大作「ポーラースター」新連載開始。乞うご期待である。

 (かいどう・たける 作家)

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