書評

2015年8月号掲載

「世界の中の日本」にむけた現代史

――細谷雄一『戦後史の解放Ⅰ 歴史認識とは何か
日露戦争からアジア太平洋戦争まで』(新潮選書)

佐藤卓己

対象書籍名:『戦後史の解放Ⅰ 歴史認識とは何か 日露戦争からアジア太平洋戦争まで』
対象著者:細谷雄一
対象書籍ISBN:978-4-10-603774-0

 正しい歴史認識に必要なのは、歴史的リアリズムである。未来の平和だけを想いえがいていては、国際社会の現実を見失う。さりとて、過去の戦争だけを見つめていては一歩先に進み出せない。バックミラーで後方を見ながら注意深く前に進むこと、そうした歴史的リアリズムが「戦後七十年」のいま、私たち日本人に切実に求められている。
 ちょうど国会では集団的自衛権行使にむけた「安保法制」が審議中だ。中国の海洋進出や朝鮮半島の不安定化など、日本をとりまく安全保障環境は厳しさを増している。一九三〇年前後の危機をアナロジーとする議論は珍しくない。ただし、状況が反転していることも忘れてはならない。当時、軍事的に暴走する危険性があったのは日本だが、いまは中国や北朝鮮である。そうした危機への適切な対処を考えるためにも、国際的視野から「方向感覚を失った戦前日本」を概観する本書は有効だろう。
 一方で、現実政治の理解に不可欠な「歴史認識」を政治問題化、まして外交問題化することに著者は批判的である。相手側の立場を理解するための歴史対話は可能であり必要でもあるが、歴史認識の共有となれば国家間はおろか国民間でさえ困難である。この夏に発表される「安倍談話」も次の記述を踏まえて読むべきだろう。
「村山政権で善意から和解を求めて自らの歴史認識を明らかにした結果、むしろこの問題が外交問題化してしまい、関係悪化に道を開いてしまった。」
 村山が善意で開いた「パンドラの箱」からは「運動としての歴史」や「陰謀史観」が噴出し、歴史認識をめぐる内戦状況が現出している。こうした「戦後史」の濁流から抜け出るために、外交史家として起点を国際的な平和主義が誕生した第一次世界大「戦後」、さらに「大量殺戮の世紀」の幕開けとなった日露「戦後」までさかのぼる。その結果、「国際法の模範的な遵守者」だった日露戦争時の日本が、第一次世界大戦認識の「ずれ」を契機として「国際秩序の破壊者」になっていくプロセスが生き生きとした筆致で再現されている。
「平和主義の無力を世界に教え、国際社会を権力政治の時代へと導いていった大国は、日本であった。そのような潮流がたどり着く先に第二次世界大戦による破滅的な破壊と殺戮が待っていた。」
 なるほど「十五年戦争」という自国中心(ドメスティック)の短期的視野では満州事変の重大性も十分に見えない。日露戦争からの「五十年戦争」、せめて第一次世界大戦からの「三十年戦争」という長期的視野が必要となるわけだ。こうした国際政治史のロングショットでまず浮かびあがるのは、一九四一年「真珠湾攻撃」に匹敵する一九三一年「錦州爆撃」の衝撃かもしれない。非戦闘員の殺戮を禁止したハーグ「陸戦」規則を無力化する「空襲」の誕生である。
 対米開戦に向かう迷走や戦争目的に関する矛盾についても最新の研究成果を引きながらリアリストの視点から鋭い分析が加えられている。いまだに「アジア解放」の大義を強調する保守派は、以下の事実に目をそむけるべきではない。
「そもそも日本政府が、最大の敵国として『アジア解放』のために戦った相手が、二〇世紀においてもっとも強力に脱植民地化のイデオロギーを促進したアメリカであるという事実は、皮肉にほかならない。アメリカよりも大日本帝国の方が、事実としてはるかに広大な植民地を有していた。」
 結果として戦後にアジア諸国の独立が実現したとしても、それは日本の「開戦」よりも「敗戦」によるところが大きい。それを含めて戦争目的と強弁するならば、わざわざ「負けるために」開戦したということになる。もちろん、それだけの洞察力と覚悟が戦争指導部にあったとすれば、歴史は異なった展開をしたはずだ。
 さらに言えば、護憲派の一国平和主義も保守派の大東亜戦争肯定論も国際主義を否定する自己中心的思考においては、表裏一体なのである。
「戦前の日本が、軍国主義という名前の孤立主義に陥ったとすれば、戦後の日本はむしろ平和主義という名前の孤立主義に陥っているというべきではないか。」
「戦後」を乗り越えていく若い世代に、いま一読を薦めたい。

 (さとう・たくみ 京都大学教授)

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