書評

2015年8月号掲載

三菱財閥の令嬢がなぜ?に答える

――青木冨貴子『GHQと戦った女 沢田美喜』

尾崎真理子

対象書籍名:『GHQと戦った女 沢田美喜』
対象著者:青木冨貴子
対象書籍ISBN:978-4-10-133753-1

 戦後七十年。神奈川県大磯のエリザベス・サンダース・ホームに集められた混血の孤児たちも、思えば、すでに老齢にさしかかっているだろう。
 ホームの創設者、沢田美喜(1901~80年)は三菱財閥の創始者、岩崎彌太郎の孫である。男ならば当然、事業を発展させたはずだが、美喜は二十歳で外交官、澤田廉三と結婚し、南米や中国、欧米各国で華やかな社交を繰り広げた。ところが、四人の子女を育て終えた四十代半ばで敗戦を迎え、財閥解体で私財の大半を失うと、ほどなく戦争の落とし子らの救済に乗り出す。七十八歳で亡くなるまで、彼女が母親代わりとなって養子縁組をととのえたり、社会へ送り出した子供は二千人にも上る。
 それはまさしく占領期の日本を代表する偉業に違いない。だが、大財閥の娘がなぜ、黒い肌、碧い瞳の、路傍に捨てられることすらあった混血の赤ん坊を、養育しようと決めたのか。どこか腑に落ちない「なぜ?」という感触を残したまま、その一生は昭和の彼方へ遠ざかったままだった。
 本人による著作や生前のインタビューを読んでみても、理由は混沌としている。本人にも「なぜ?」は不明だったのではないか。美喜の起伏の激しい性格を告発しつつ、孤児たちのその後を追跡したノンフィクションの数々も、核心には届いていない。けれども、青木冨貴子氏が通算十年をかけた本著は違う。冷静に彫琢した実像がようやく浮かび上がった。難事業に後半生を捧げた理由――それは〈たった一人ではじめた戦後処理であった。言ってみれば、沢田美喜は巨大な岩崎家の後始末をして、岩崎の家を生き返らせた〉。すなわち本著は、幕末から繰り返された戦争と国策に乗って巨万の富を得た岩崎彌太郎と三菱財閥、およそ八十年の発展から解体に至る史実を背景に、美喜を近代史の中に置き直し、エリザベス・サンダース・ホームが誕生した真の理由を、連合国軍総司令部(GHQ)との密接な関わりの中に解き明かす試みなのである。
 ニューヨーク在住の著者は、米国立公文書館の奥深くまで分け入り、両国に生き残る関係者、その子息らの証言を根気よく収集し、戦後史に〈ある種の影響力を及ぼした〉沢田美喜、いや沢田夫妻の動向を、歴史の闇の中から果敢につかみ出している。
 夫、廉三にとって、岩崎家の資産が出世への何よりの後押しとなったように、美喜にとって外交官の夫は、かけがえのない後ろ盾であり情報源だった。接収された夫妻の麹町の邸宅「サワダ・ハウス」は、日比谷のGHQ本部で行えないG2(参謀第二部)の秘密会談の場所となり、本郷の岩崎家茅町本邸は、数々の陰謀を練ったとされるキャノン機関の根城となった。沢田夫妻はこれらの屋敷に頻繁に出入りし、占領軍のキーマン、ウィロビー少将やキャノン中佐らと複雑なやりとりに関与した跡がある。
 地下(じげ)浪人という身分から財を成した彌太郎と、「女彌太郎」と一族内で呼ばれた美喜。土佐の“いごっそう”気質を軸に、著者は二人の資質と運命を重ね合わせながら読み解いていく。岩崎家三代の逸話はスケールが大きい。家庭教師に選ばれた津田梅子から習った英語が、ジョセフィン・ベーカー、パール・バックらとの交友を美喜にもたらした。GHQが岩崎家から持ち去った有価証券はトラック三台分。それを見送る時も平静さを失わなかった父、久彌を激怒させたのは、一族の茅町本邸を女郎屋同様に貶めた、占領軍兵士の不品行だった。潔癖なクリスチャンの美喜はこの時期、GHQへ繰り返し抗議に及んでいる。それは大財閥の娘としての〈覇気と勇気〉。と同時に、戦争で巨億を得た出自への贖罪の気持ちからだったと著者はみる。さらに、美喜の気持ちの深層においては、占領軍に対する最も痛烈な報復措置として、エリザベス・サンダース・ホームが構想されたのではなかったか……。
「戦った女」の表の顔が、孤児救済の寄付を募るため、五千通もの手紙を送る聖女だとすれば、著者は一方の、ほの暗い側面にも光を当てている。「実子が孤児となり、孤児が実子となった」と口を開いた美喜の長男、信一の、亡くなる直前の証言には驚いた。よくぞ聞きとどめてくれたと唸る、身内ならではの思いが明かされている。
 団塊世代の著者は、〈自分の生まれた時代の実像を知りたい〉と本著に臨んだという。強い意志が、沢田美喜の生きた時代と響き合い、故人を生き返らせた。

 (おざき・まりこ 読売新聞文化部)

最新の書評

ページの先頭へ