書評

2015年5月号掲載

子宮だった巨大城塞

笠谷和比古 黒田慶一『豊臣大坂城 秀吉の築城・秀頼の平和・家康の攻略』

徳川家広

対象書籍名:『豊臣大坂城 秀吉の築城・秀頼の平和・家康の攻略』
対象著者:笠谷和比古/黒田慶一
対象書籍ISBN:978-4-10-603766-5

 今年は徳川家康の四百回忌ということで、展覧会からフェスティヴァルまで、様々な行事が開催される予定だ。だが実は、それは私の周辺の話でしかなかった。関西、特に大坂の人々にとっては、今年は大坂城落城四百年だったのだ。
 そのような節目の年に刊行されたのが本書『豊臣大坂城 秀吉の築城・秀頼の平和・家康の攻略』だ。戦国史、特に関ヶ原合戦前後の政治史の権威である笠谷和比古帝塚山大学教授と、大阪文化財研究所の元学芸員の黒田慶一氏の共著だ。ちなみに、同コンビには『秀吉の野望と誤算 文禄・慶長の役と関ケ原合戦』という好著もあるから、秀吉の薨御から大坂落城まで「豊臣家の衰退と滅亡」を全部カバーしていることになる。
 黒田氏は考古学、笠谷教授は実証史学と、異なる学問領域だ。その二人の文章が交互に登場することで、豊臣大坂城(江戸時代の大坂城と区別するためにこう称せられる)の全貌が立体的に伝わってくる。冒頭、大坂の地勢から入っていき、以後、最新の考古学的成果、文献、当時の外国語の記録、絵画資料、現在の建築技術の知見を総動員して、巨大要塞であり、一個の都市でもあった秀吉の城を描き出していく。大阪に疎い私にはわかりにくいのだが、現在の地名でもって過去の構造物を再現していく筆法は、大がかりな映画のセットの裏をちらちらと見せる趣きがあって楽しい。
 特に強烈な印象を残したのは、「秀吉は伏見城において死去する前、目に入れても痛くないほどかわいい“国主”秀頼を守るため、大坂城の大改造を命じる」という一節だ。巨大な城塞が一転、化け物じみた子宮に見えて来るではないか。
 笠谷教授が担当する政治史は、これは考古学にまさるとも劣らない科学的な考証となっている。関ヶ原の合戦と徳川家康の征夷大将軍任官でもって江戸時代が始まったという、通念を庇う類いの通説に対する丁寧な反論は、私自身の時代区分論と合致するということもあって、胸のつかえが取れるような爽快さを感じた。そう、本当の江戸時代は、豊臣氏の滅亡を待って、ようやく始まるのである。
 徳川家康は、豊臣家の滅亡、大坂落城を待って「元和偃武(げんなえんぶ)」を発表した。長い戦乱の世から戦いのない世の中への転換を公約したのだ。それもまた、今を去ること四百年の昔である。そこで本書に対する疑問となるのだが、黒田氏のいう「パクス・オーザカーナ」は本当にその名に値いしたのだろうか? 秀頼支配下の大坂の賑わいがどれほどのものであろうとも、文禄・慶長の役の後始末がすんでいないとあって、そこには常に戦争の影が差していたはずである。笠谷教授が論証した「徳川・豊臣二重公儀体制」が持続不能だったのは、何より朝鮮出兵を命じた秀吉の後裔が西日本に君臨する限り、日本が東アジアの貿易に参画できなかったからではないか。この問いに対する答えがはっきりしない限り、豊臣氏の「悲劇」の真相は解明されないように思える。

 (とくがわ・いえひろ 作家・翻訳家)

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