書評

2015年4月号掲載

日常というきらめく星座

――森美樹『主婦病』

三浦しをん

対象書籍名:『主婦病』
対象著者:森美樹
対象書籍ISBN:978-4-10-121191-6

 決して派手ではないけれど、深く惹きこまれる短編集だ。
 母親が謎の事故死を遂げ、父親と暮らす十二歳の女の子(「眠る無花果」)。夫と会話が成立せず、秘密のアルバイトに精を出す妻(「まばたきがスイッチ」)。長年連れ添った夫の隠しごとを知り、動揺しつつ介護する妻(「さざなみを抱く」)。夫や娘と幸せに暮らしているはずなのに、小学校時代の出来事をしきりに思い出してしまう女(「森と蜜」)。結婚して経済的には恵まれているものの、早朝からお団子屋さんで働く女(「まだ宵の口」)。激しい恋情に駆り立てられるかのように、タクシー運転手となって街を走るお嬢さま育ちの女(「月影の背中」)。
 登場人物はみな、なんの変哲もない生活を送っている。だが実際には、「変哲のなさ」の背後から不穏な影が忍び寄り、暗い亀裂が生じてもいる。端整な文章は、ときに切なる哀感を伴い、ときにほのかなユーモアを漂わせ、人々の感情の奥行きと、日々にひそむ一瞬の鮮烈さをあぶりだす。
 そして読み進むうちに、ふと気づくはずだ。「これは単なる短編集ではないぞ」と。実は、各編はゆるやかに連関し、合わせ鏡のように照応してもいる。「さざなみを抱く」と「森と蜜」のあいだに脳裏で縦軸を引いてみると、前半三編と後半三編とで、内容やテーマが線対称になるつくりなのだ。著者の森美樹さんは、本書が初単行本だが、空恐ろしい才能の持ち主がいるものだと震えた。
 とはいえ、本書は技巧を見せびらかしはしない。あくまでも静かだ。ゆっくりと日が暮れていき、夜との狭間でまだ赤みを残す空に、銀色の星が瞬きはじめる。星の数は徐々に増え、気づけば星座を形づくっている。各編ごとのつながりは、それぐらい自然で、さりげなくうつくしい。
 では、本書が描きだす星座の名は、はたしてなんだろう。とても見慣れた形だと思った次の瞬間には、グロテスクな、あるいは残酷な、あるいは見たこともないほど麗しい姿に変化して、容易に正体を見きわめられない。
 自慰をしたあとの丸めたティッシュを、ベッドの下に放置しておく夫。おやつに赤黒い麩菓子を差しだされる女の子。日々の営みからにじみでる、生々しく暴力的な性と恐怖のにおい。ふだんは蓋をして目をそらしているものが、登場人物(および読者)の平穏な暮らしに揺さぶりをかけてくる。同時に、本書では崇高な解放の瞬間も描かれる。マンションのベランダから見える朝の街並みと、髪に感じる心地いい風。恋人たちを祝福するように、夜の公園を照らす街灯の明かり。色づき輝きはじめた世界に触れる、その喜びと高揚が痛いほど胸に迫ってくる。
 そうか、容易に正体をつかみにくい星座の名、本書が描きだしているものは、「日常」だったのか。劇的なことなどそうそうなく、不安や不満をのみこんで、私たちは淡々と日常を生きる。たまに生じる不測の事態や親しいひととのあいだの齟齬すら、たいがいは「なかったこと」にし、忘れたふりで時間が過ぎるのを待つ。やがて本当に忘れてしまう。そうして成り立つ日常の残酷さと理不尽に、私は叫びたくなるときがある。
 だけどこの小説は、そんな叫びも含めて抱きしめてくれる。残酷で理不尽なのが日常であり、ひとの心だ。でも、怯えなくていい。絶望しなくていい。よく見てごらん。その残酷さと理不尽の向こうに、それでも輝く誇りが、前向きな諦念が、赦しが、愛と言いきるには曖昧な、けれど愛にきわめて近似した尊い感情が、たしかに存在するのを。一瞬だけ通いあった気持ち、触れた体温、だれかのなにげない一言や振る舞い。すぐに消え去り忘れられてしまうかもしれないそれらが、私たちを生かす。それが日常であり、ひとの心だ。
 本書を読むあいだずっと、私は登場人物たちの静かで力強い囁きと抱擁、日常を生きることへの言祝ぎを感じていた。
『主婦病』というタイトルだが、読者が主婦や女性でなくてもまったく問題ない。決して派手ではないけれど、かけがえのないきらめきを帯び、深く惹きこまれる小説だ。私たちの毎日が、そうであるのと同様に。

 (みうら・しをん 作家)

最新の書評

ページの先頭へ