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書評・エッセイ

『波の音が消えるまで』刊行記念特集

これが博打小説だ

――沢木耕太郎『波の音が消えるまで』(上巻・下巻)

北上次郎

『深夜特急』第1巻のカジノ・シーンを思い出す。二十六歳の青年がロンドンに向けて旅立ったはずなのに、マカオのカジノにとどまり続けるくだりが印象的だった。博打などとは縁遠いはずの知的な青年がなぜカジノにはまるのか。その感情の動きがとても興味深かった。ギャンブル小説が好きな私はあのくだりをもっと読みたいと思ったものだが、あれから二十八年、まさか本当に書いてくれるとは思ってもいなかった。なんとなんと、今度は上下巻が丸々カジノ賭博で埋められるのだ。本格的な博打小説である。もうイギリスには向かわず、最初から最後までカジノである。ギャンブル小説愛好者としては無性に嬉しい。
『深夜特急』の青年がはまったのは大小だったが、今度の種目はバカラ。バンカーとプレイヤーのそれぞれのサイドにトランプを二枚ずつ配り、カードの合計数の多いほうが勝ち。数の大小が問われるのは下一桁だけ。つまり合計数が十八なら八になる。で、どちらのサイドが勝つのかを当てる種目である。二枚で勝負が決しない場合などの細かなルールもあるのだが、これ以上は本書を当たられたい。
 興味深いのは、これがバカラの必勝法を探す男たちの物語であることだ。一種の丁半博打にはたして必勝法は存在するのか――その模索のディテールこそが本書のキモといっていいが、何のために必勝法を探すのか、ということも重要だ。普通なら勝つためだろう。大金を得るためだろう。しかしここに出てくる男たちはそうではない。世界を手に入れるためだ。これが本書を解く最大のキーワードである。
 博打とは何なのか、ということのアフォリズムも素晴らしい。印象的なものをまずは列記する。
「博打は運でもなければ勘でもないし度胸でもない。観察力なんだ」
「一発勝負は常に敗れる」
「強く賭けられなければ勝てない」
 最後のフレーズにはもう少し注釈が必要か。強くというのは賭ける額が大きいことかという主人公の航平の質問に、劉という謎の老人は答える。金額ではない。これは勝てると強い思いで賭けられるかどうかということだ。もう一つ引いておけば、「強く賭けるためには確信がなくてはならない」というのもいい。
 私の専門は競馬で、カジノ賭博とはその要諦が異なるが、「強く賭けなくては勝つことは出来ない」というのは同じなので、もう感じ入ってばかりである。たとえば、航平が絶対の自信を持ちながらもポケットの金を握りしめたまま賭けられない場面が本書に出てくるが、まったく他人事ではない。でっかく行かなければ大きく勝つことは出来ないが、しかしでっかく行くと破綻するのも早い。だからポケットの金を握りしめて私たちは迷うのである。賭けるべきなのか止めたほうがいいのか、私たちは脳を激しく回転させてぎりぎりまで考える。きりきりと迷い続ける。博打は自分との戦いだ。
 大事なことを一つ、書き忘れていた。マカオのカジノではバンカーを「庄」(ジョン)、プレイヤーを「閒」(ハン)、タイを「和」(ウォー)と呼ぶ。だから出目表を付けるとそこにこれらの漢字が並んでいく。それを縦に並べると変化したことしかわからないが、横に並べるとどのように変化したかがわかる。中国人が重要視するパターン、絵柄がそこに現れるのだ。縦を横にするだけで突然出現する絵柄が感動的だ。引用すればその美しさが一発でおわかりいただけるだろうが、いたずらにスペースを取ってしまうのでここはぐっと我慢。漢字がうねるように躍っていく様子は、本書を開いて確認していただきたい。
 主人公の航平がサーファーであり、カメラマンでもあったので、これはサーフィン小説、そしてカメラマン小説でもあることを付記しなければならないし、航平に博打を教える師匠格として登場する劉、美しい娼婦李蘭のトライアングルを中心に、個性的な脇役を配して色彩感豊かに物語が展開することも書いておかなければならない。
 熱狂的なギャンブル小説愛好者への超おすすめの一冊だが、それ以外の要素もたっぷりとあることは強調しておきたい。二〇一四年の収穫の一冊だ。

 (きたがみ・じろう 文芸評論家)

沢木耕太郎『波の音が消えるまで』(上巻・下巻)978-4-10-327517-6, 978-4-10-327518-3