書評

2014年10月号掲載

日本人の世界観が人類の破局を食い止める

鈴木孝夫『日本の感性が世界を変える 言語生態学的文明論』

山田孝男

対象書籍名:『日本の感性が世界を変える 言語生態学的文明論』
対象著者:鈴木孝夫
対象書籍ISBN:978-4-10-603756-6

 いま、グローバリゼーション猛り狂う世界で日本語と日本文化への関心が高まっているが、それは異国趣味の気まぐれではなく、歴史的要請だと鈴木孝夫先生は見る。この判断の裏には「英語とアメリカ文化を基盤とする経済暴走が地球を破局に導く」という確信がある。
 本書は、優れた言語社会学者にして「日本野鳥の会」顧問でもある著者の、長い経験と観察、深い思考の集大成である。100万部突破のロングセラー「ことばと文化」(1973年、岩波新書)以来、日本語と他の諸言語の比較、その根底にある文化の違いを凝視してきた鈴木言語生態学の到達点である。
 西欧語には、話者と相手を明確に区別する「人称代名詞」が必ず存在する。それが、日本語の場合、ほとんど見られない。それは日本人の明確な自己主張を妨げる日本語の欠陥だと考えられてきた。が、その断定は西欧の基準による。視点を変えれば、あえて対立を回避する日本文化独自の伝統なのである。
 現代フランス語にタタミゼ(tatamiser)という言葉がある。《日本かぶれする》《日本贔屓になる》というような意味で使われるが、日本語を使うことにより、話し手が優しく、礼儀正しくなるというニュアンスもあるらしい。やたらと「すみません」を連発し、譲り合い、さりげなく会釈するのも「タタミゼ」効果ということになる。
 日本の伝統は人間同士だけではなく、自然にも優しい。朝顔に 釣瓶とられて もらひ水 (加賀千代女)/やれ打つな 蠅が手を擦る 足を擦る (小林一茶)という感覚は、現代日本社会にも残っている。明治以来、日本も西欧文明にどっぷり浸かっては来たが、基層に古代のアニミズム的、汎神論的な自然観を残している。
 ひるがえって、一神教的な世界観に基づく西欧文明は人間中心で、自然を収奪、改造の対象としてしか見ない。西欧文明の先頭走者、アメリカ中心のグローバリゼーションが何をもたらしたか。経済暴走、自然崩壊、宗教対立だろう。
 他方、向上心や競争心は人間本来の性状であり、それ自体、否定されるべきものではない。いまは自然破壊の経済活動に向かっている欲望の捌け口を、別の分野に向ければよいのであり、ヒントは日本の江戸時代にあると著者は言う。
 鎖国の江戸時代は対外戦争も内乱もなく、それ以前は公家と武家のものだった和歌、能狂言、茶の湯、陶芸などが庶民化され、高度な発達を遂げた。ウグイス、メジロなど鳴禽類を飼い、鳴き声を競うという優雅な「争い」もあった。
 今は地球全体が閉された鎖国に等しい環境にある。経済暴走を食い止め、破局を先送りできるかどうかは、日本人が音頭を取り、自然と調和する価値観をどこまで世界に広められるかにかかっている――。これが鈴木文明論の結論である。

 (やまだ・たかお 毎日新聞特別編集委員)

最新の書評

ページの先頭へ