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書評・エッセイ

ニホンコダイシヲイカニマナブカ日本古代史をいかに学ぶか

上田正昭

1,123円(税込)

斯界の泰斗が伝える「生ける古代学」、真の魅力。「これは後学への私の遺言である」――

歴史を学ぶとは、史実や年号を暗記したり文献を漁ることではない。過去の人々の息遣いを感じ、喜び、悲しみを共に味わい、それを現在の自分たちの生活の中に生かし、未来を展望することである――。折口信夫、西田直二郎に学び、爾来六十余年、「生きた歴史学」を目指し続けた著者が自らの研究史を振り返り、その真髄を伝授する。 ※新潮選書に掲載の写真は、電子版には収録しておりません。

巨視・微視兼備の眼差しとつながりの古代史

白江恒夫

 京都の古代研究会で、反故の紙背にコピーした自筆原稿を見ながら、出席者の質問に耳を傾けすらすらとメモして丁寧に答える。著者のその姿を隣席から見ていて、モノ・コト(言と事)・トキとツナガリを大切にされる方だなと感じた。著者は青年純情多感な折に津田左右吉の記・紀の文献批判に強い衝撃を受け、敗戦で多くの人々の価値観が崩れた中、自らの戸惑いと疑問に学問を通して真摯に向き合った。ものを無駄にせず生かす、出会いの時とつながりを大切にし、物事を双方向から検証して判断する。この一貫する研究姿勢の素地は、学問に覚醒する以前の、人として確かで心豊かな育みの中で培われたのであろう。
 著者は「日本古代史をいかに学んできたか」を語り、読者には古代文化を深く考え、現代から将来・未来につなぎ生かしてもらいたいという期待があるのであろう。古代から現代へという方向は、多大な影響を受けた師折口信夫の古代学(考古の学)に重なる。とは言え、異郷意識が南方だけにとどまり、古代の中国や朝鮮等東アジアへの眼差しがその展望の中に開花しなかった折口になずむことはない。その結果、本年米寿を迎えられた著者の研究は、古来稀となり大海の広がりをもつ。今後の古代学の前進のためにまとめられた本書は、第一・二章で文字史料、第三・四章で非文字史料を扱い、第五章で折口古代学の発展的継承、第六章で歴史のみかたの再検討を説く。ここにいう「発展的継承」とは、先師の業績顕彰のみを指すのではなく、むしろ、批判的継承というに近い。例えば、古代芸能の発生と展開に巡遊伶人の役割を重視した折口には「上から下へ」の視点があっても「下から上へ」の視点が欠けていた為に、古代における芸能が国家の成立と不可分の関係にあったことを見落していると著者は指摘する。又、文化事象は文化の創造や文化享受の場とのつながりに於いて把握されるべきとする西田文化史学の考えを認めながらも、渡来初期の佛教と固有信仰との関係のとらえ方は異なる。津田左右吉の帝紀や旧辞の成立時期説には、稲荷山鉄剣銘文の検証を踏まえて異を唱える。師説の足らざるを補い、時には批判をも厭わない。これこそが、学恩に報いる発展的継承となるのであろう。巨視・微視兼備した眼差しで、つながりを育む本書は、古代学に入門する徒への書でもある。理解を一層深めるには、引用史料の原典や著者の原著にあたり、自分の目で確かめられたい。最後に著者は古来の難問スメラミコト(天皇)の語源に言及する。かつて国語学者大野晋が音韻と意味の一致する梵語と蒙古語の例を紹介したが、その後者(sumel 最高の山)だという。
 上田正昭博士は、病魔と闘いつつ、左手骨折の不自由の中で執筆三昧の日々。著者のその眼差しは遥か彼方を見据え、さらなる学問の樹立と発展を願っておられるのではないだろうか。

 (しらえ・つねお 芦屋大学臨床教育学部教授)

上田正昭『日本古代史をいかに学ぶか』978-4-10-603755-9