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書評・エッセイ

陶然とするほど甘い味

――イアン・マキューアン『甘美なる作戦』(新潮クレスト・ブックス)

松田青子

 マキューアンの小説の良さは、うっとりできないところだと思っていた。人間の卑怯さ、醜悪さ、万人に降り掛かる老いの容赦のなさなど、彼の作品はいつも苦い味を残す。だから『甘美なる作戦』で「作家」が用意した「トリック」を理解した瞬間、あまりのロマンチックさに呆気にとられた。この作品は一行残らず、「作家」から「小説」へ、何よりその「題材」へと向けたラブレターなのだ。
「結婚してください」で終わる小説が好きな文学少女セリーナは、本当は英文科に行きたかったのに、数学科に進学する。得意な数学の才能を発揮するのは「女としての」義務だと、母が断固として主張したからだ。献身的に父に尽くす母の奥底から突如として現れた「フェミニストの強靱な小さい核」に娘は驚く。恋愛関係にあった年上の男性に教育を施された彼女は、薦められるままにMI5の面接を受ける。「フェミニズムの第二の波」が訪れようとしていた七〇年代初頭のイギリス、「新しい解放精神」に感化されたセリーナの妹は、逮捕、妊娠、中絶を経験し、志していた医者を諦める。一方のセリーナは、華々しいスパイ活動に勤しむ男たちを尻目に、「ミニスカートのオフィスガールのひとり」として、「ピラミッドの底辺」を生きることになる。「ジェイン・オースティンの精神」に則って、薄給でのやりくり、退屈な仕事内容、通勤の時間、スカートのアイロンがけなど、彼女の生活のディテールが細かく綴られていく。「実在するにせよ架空にせよ、ある人物の経済状態を知ることなしに、どうしてその内面生活を理解できるだろう?」と、セリーナであるところの、一人称の語り手は語る。
 男全般のずるさ、若い女の愚かさも、重箱の隅を突くかのごとく描かれる。男たちは、少女趣味なブラウスをセリーナに贈り、嬉々として彼女を教育し、彼女に拒絶されるとは露ほども考えず自分のタイミングで物事を進め、彼女から数学の説明を聞くとパニックになり「吐きそうな気分」と言い出す始末だ。セリーナ自身も火に油を注ぐ。「酸いも甘いも噛み分けた年配の男がわたしに夢中になっていた」と得意に思い、「自分の自尊心のためにも、マックスの前で色っぽく振る舞って、わたしを手放したことを後悔させてやらなければならない」などと考える。性的に求められることを、認められていると錯覚してしまうのは、若い女にありがちな過ちである。本人たちに気づかれることなく、国に加担する作品を書かせるため作家たちを支援するプロジェクト「スウィート・トゥース(「甘党」の意)」に抜擢された際も、結果を残して評価されたいと息巻きながら、担当作家のトムとすぐに恋愛関係になる。性的な意味でも、仕事の能力的にも認められなければと必死なセリーナは、褒められたくて仕方ない「忠順な若い女」であり、それこそ相手の思うつぼであることに気づくのは、ずっと後のことだ。
 中盤、トムの登場により、この「小説」に隠されている「トリック」に読者は一歩近づく。セリーナは「二重の目」で、彼と彼の書く小説をスパイしながら、恋人関係を続ける。「トリック」のある小説は嫌いだと言うセリーナ(スパイのくせに)に、「トリックなしに人生をページに再現することは不可能だ」とトムは答える。トムもまた、ある段階から、「二重の目」を持って彼女と接することを選ぶのだが、そこから導き出される「プロセスの論理」、そして「トリック」は陶然とするほど甘い味をしている。セリーナはまさに自分好みの「小説」を読むことになるのだ。
「作家」は書く過程で「題材」を理解し、結果として、自分の中にある感情を発見する。しかも、『甘美なる作戦』に関わる「作家」は二人いる。トムと、マキューアン自身だ。「作家」自身の考えと「作家」の「小説」のそれとが違うことは往々にしてあるが、この「小説」で描かれる「プロセスの論理」に則って本作を捉え直した時、読者を待ち受けるのは、二重のうっとりである。受け身で生きるしか術がなかったセリーナに二人の「作家」が贈る最後の一文は、すべての女性が受け取るにふさわしい。そして「スウィート・トゥース」事件から四十年後にこの「小説」(「題材」から事実を聞いて改訂済み)が出版されていることが、最後の一文に対するセリーナの「答え」を明示しており、二人の登場人物がその後どういう人生を送ったかわかるという、とにかく恐ろしいほど「甘党」な一冊である。

 (まつだ・あおこ 作家)

イアン・マキューアン著/村松潔訳『甘美なる作戦』(新潮クレスト・ブックス)978-4-10-590111-0