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書評・エッセイ

空白を埋める試み

――尾崎真理子『ひみつの王国 評伝 石井桃子』

堀江敏幸

 幼年時代から思春期にかけて、石井桃子による翻訳書の世話にならなかった読者はほとんどいないだろう。『うさこちゃん』『クマのプーさん』『ピーターラビット』。誰もが知っている三つのシリーズを挙げるだけで、それはただちに納得できるはずだ。
 しかし、これほど親しみのある名前なのに、石井桃子その人の全体像は掴みにくい。そもそも明治四十年生まれの病弱で小柄な女性が、どのような経緯で子どもの本と係わりはじめ、戦争をはさんだ二十代なかばから三十代なかばにかけての厳しい時期をどのように乗り越えてきたのか。新聞雑誌に発表されたエッセイや後年の自筆年譜によって、当時の活動はある程度想像できるとはいえ、空白はまだ、あちこちに残されている。
 本書は、この空白を埋めるために重ねられた、持続的な読みの成果である。二〇〇二年夏に行ったという長大なインタビューを軸に、著者は没後の取材を通して得た証言や、親友の遺族から提供された貴重な書簡を援用しながら、慎重な手つきで謎に迫っていく。
 石井桃子には、心の内側に踏み込んでくる者をやんわり拒む一面があったようだ。他者を遠ざける冷たい人だったわけではない。それどころか彼女は、進むべき道を拓いてくれる人物をいつのまにか近くに呼び寄せてしまう、運命的な出会いの才に恵まれていた。犬養毅、菊池寛、永井龍男、井伏鱒二、吉野源三郎、山本有三、小林勇……。語学力と実務能力に長け、人柄もよかったことに加えて、これらの人々のつながりが、無名の女学生を戦前はまず文藝春秋社に、次いで新潮社に導き、戦後は岩波書店の編集者として力を発揮するまでの流れを作った。彼らがいなかったら、『プー横町』や『ドリトル先生』や『岩波少年文庫』も、生まれることはなかっただろう。
 著者はまた、別の文脈の固有名に注意を向ける。『幻の朱い実』の登場人物のモデルで、いっとき石井がその家に通いつめるほど意気投合していた文藝春秋社時代の同僚小里文子。小里の同級生で、彼女の思い出を深く共有することになる水澤耶奈。結婚寸前までいきながら結ばれなかった七つ年下の恋人、進藤四朗。明るみに出たこの四朗の存在が、『ノンちゃん雲に乗る』の執筆過程と手紙形式の構成に影響を与え、石井が訳したエリナー・ファージョン『リンゴ畑のマーティン・ピピン』の構造とも似ているとの指摘は、評伝を踏みだして文芸批評に近づいている。
 埋められた空白のうち最大のものは、戦中、石井桃子が「意に反して」大政翼賛会に関わり、情報局直属の「日本少国民文化協会」文学部会幹事として名を連ねただけでなく、「菊の花」と題する掌篇を機関誌に載せていたという事実だろう。書かれた動機や作品の解釈がどうあれ、国威発揚を目的とする活字に残したことを石井桃子ほどの女性が悔いていなかったはずはない。その深さは「余人の想像をはるかに超える」と、死後に一文の存在を知った著者は息を詰めるように記している。
 消そうとしても消し得ない悔い。敗戦後すぐ、石井が軍需工場で知り合った女性と東北で過酷な開墾生活に打ち込むことを選んだ背景には、右の文章に対する「罪」の意識があったのではないか。それを贖(あがな)うには、「生涯、この国の子どもたちに最善を尽くして、どんな時代、政治体制下でもゆらぐことのない、真に心の栄養となる本当のお話を作り、あるいは選び、訳し、届けること」しかないと考えたからではないか。
 戦後、亡くなった小里文子から受け継いだ荻窪の家に「かつら文庫」を開設して子どもたちに本と夢を与え、瀬田貞二をはじめとする新たな運命の出会いを重ねながら、石井桃子は二〇〇八年にその命が尽きるまで全力を振り絞って闘った。そんな解釈の土台になっているのは、自らも彼女の日本語に育てられた世代のひとりだという著者の、感謝と敬愛の念である。だからといって解釈に偏向が生じることのない確かな距離の取り方に、書き手としての覚悟と対象への深い愛が滲み出ている。

 (ほりえ・としゆき 作家)

尾崎真理子『ひみつの王国 評伝 石井桃子』978-4-10-335851-0