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書評・エッセイ

キョウショデン狂書伝

勝山海百合

1,320円(税込)

書は、必ずしも人ならず。筆は、時として人を狂わす――。

時は明代の中国。揚子江流れる豊かなまちに稀代の名筆家と謳われる男がいた。この男陳遷は、しかしながら権勢家にして行いは残虐非道。人々を恐怖と憤怒に陥れていた。彼を懲らし同時に世を正すべく暗躍する、仙術を使う異能の女・斑娘。その運命を握るのは一通の手紙……書の魔力に取り憑かれた人々の狂奔を描く傑作中華伝奇小説!

文人たちの「癖(へき)」

――勝山海百合『狂書伝』

南條竹則

 子供の頃、ほんの数ヶ月だけ、習字の塾に通ったことがある。
 その塾は浅草千束町の家の近くで、名前は憶えていないけれども、眼鏡をかけた物柔らかな感じの先生だった。
 家は広く、下駄箱が沢山あり、梯子段(はしごだん)と呼ぶのがいかにもぴったりの昔風な階段を上がって、二階の座敷で稽古をした。廊下には子供達の習字が沢山貼ってあった。
 先生は墨汁というものを使わせず、硯(すずり)で墨を摩ることから稽古をはじめた。正しい教育法だったと思うが、私はいつも水を硯に入れすぎるのか、それとも力がなかったのか、祖母はきっと上等な墨を買ってくれたはずだけれども、摩っても摩っても墨が黒くならない。仕方がないから水っぽい墨で字を書くと、滲(にじ)んでまったく形にならぬ。私の字は黒いというよりも青かった。何べんやっても、そんな調子だった。
 もちろん上達するはずはない。自慢ではないが、小学校でも中学でも習字では赤点をとり、筆を持つことが嫌いになった。
 そんな私が書に微かな関心を抱いたのは、もう就職してからのことだった。
 その頃、大学時代の仲間と恩師の甘木先生と一緒に、台湾へ何度も遊びに行った。私達は食べることと温泉にしか興味のない豚児(とんじ)だったが、先生の目的は故宮博物院の見学にあった。毎日朝食が済むと宿を出て、故宮へ行き、王羲之の書の前にいつまでも佇んでおられる。御存知の通り、台湾の故宮博物院には「蘭亭序」が数種類あって、時によって違うものが飾ってある。それで、先生は台北へ行くたびに遂良(ちょすいりょう)だの欧陽詢(おうようじゅん)だのが写した「蘭亭」の前に佇んでおられたのだ。
 私も少しはおつきあいをして「蘭亭序」をながめていると、字のことはチイトモわからぬながら、多少心づいたことがある。第一に、書き損じや書き足しが方々(ほうぼう)にある。それに字の大きさが一定でない。場所によっては、寸法が半分くらいの小さな字が狭苦しく詰め込まれたりしている。あれは酒を飲みながら書いたからであって、のちに何度も書き直したが、朗らかに酔って書いた初めの字を、書き直しはついに越えられなかった――という話を聞いてフーンと思い、書というものを見直した。堅苦しいばかりだと思っていた習字と書はどうも違うらしい、と思いはじめた。
 それで追々書家の伝など読んでみると、この道を好む人には仲々癖(へき)が多いようだ。米(べいふつ)などは硯に目のない人で、徽宗(きそう)から賜わった端渓(たんけい)の硯を抱きかかえて、御前から走り出た。王羲之の書を愛した唐の太宗は、国中の真蹟(しんせき)を集めて写しをとらせて、自分の墓に入れてしまったというから、大した惑溺だ。
 本書では「嬢信癖」という、いかにもありそうな癖(へき)を題材にしている。これはつまり「嬢(わかいむすめ)」の「信(てがみ)」に対するフェティシズムということである。一般に書を見る人は、書いた人間の人柄を思い、こういう立派な字を書く人は、一体どんな人なんだろう、慕わしい、会ってみたいという気持ちを起こすようだが、「嬢信癖」の持主は「少女の書いた文字の跳ねや流れを」ながめて、目の前に少女その人を見る以上の恋着をおぼえるのである。
 物語の舞台は、中国明末(みんまつ)の江南地方だ。
 常松という町の有力者・陳遷は官界に入って出世した土地の権勢家で、書の蒐集家としても知られている。
 彼には陳鋼という無頼漢の息子と、陳婉という不器量だが才芸に優れた娘がいる。陳親子は権勢をかさに横暴な振舞いを重ねるため、仙術の心得のある女侠客・斑娘らは、懲らしめに娘の婉をかどわかし、身代(みのしろ)として、昔のさる婦人が書いた手紙をよこせと要求する。ここに例の「嬢信癖」のある文人達が関わり、色々な人間模様が展開する――
「癖のない人間とはつきあえない」と『陶庵夢憶』の著者は語った。中国の文人にはまことに千差万別の癖があって、物語の宝庫である。そこに目をつけたのは、この作者の慧眼と言えよう。

 (なんじょう・たけのり 作家)

勝山海百合『狂書伝』978-4-10-331442-4