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対談・鼎談

辻村深月『盲目的な恋と友情』刊行記念対談

残酷さをエスカレートできる世界で

友情は恋に敵うのか?
女にとって美醜とは/ぬるい創作は許さない

藤田貴大 × 辻村深月

友情は恋に敵うのか?

辻村 お目にかかるのは初めてですが、藤田さんが脚本と演出を手掛けられている劇団「マームとジプシー」の舞台を、何度か観に行かせて頂いたことがあります。二月の「Rと無重力のうねりで」を観たのが、ちょうどこの新刊を書き終えたタイミングで、対談するならぜひ藤田さん!と、真っ先にお名前が浮かんだので、今日はとても嬉しいです。

藤田 ありがとうございます。

辻村 世間では「女子って大変だね」「女子って怖いよね」と言われることが多く、今回の新刊を読んでそのように感じる方もいると思うのですが、「男子は男子ですごく大変なんだ」ということを、こんなにも描き切った作品は観たことがないと、非常に驚き、感銘を受けました。

藤田 そうですね、男子は男子で面倒くさいです。普段、女性作家の小説も読むのですが、例えば、男って馬鹿だよねと、男性という性を一方的に言い切っている表現に出会うと、かなり抵抗感を覚えます。でも、辻村さんのこの長編では、男子特有の“ねちっこさ”がきちんと描かれていて、リアリティを感じました。「将来有望な美形の指揮者」と描写されているので、批判を恐れずに言うならば、僕は茂実の気持ちがすごく良く分かって……同じ男性だからかもしれませんが。

辻村 いえいえ! 男性からそう言って頂けるとは、とても嬉しい感想です。しかし、茂実の気持ちがわかる、というのはなんかすごい(笑)。

藤田 「恋」と「友情」の二つのパートに分かれていますが、最後まで引き込まれて、非常に面白かったです。

辻村 ありがとうございます。「恋」は蘭花、「友情」は留利絵と、それぞれ異なる視点で書いたので、今までにないくらいあっという間に書き終えたという感触です。

藤田 「友情」を読んで感じたのは、ある関係性を突きつめて、そのことだけを伝えるならば、もっと密度の濃い書き方もできたと思うんです。ぎゅっとつまった「恋」と比べて、だだ漏れしている数行があるというか、洪水のように言葉が溢れ出ている箇所が数カ所あって、「友情」の方が僕にはより豊かに感じられました。プロットをたててから書き始めるのですか?

辻村 普段はしないことが多いのですが、今回は綿密なプロットをたてました。まずタイトルが思い浮かんで、「盲目的」が「恋」だけではなく「友情」にもかかるにはどんな話が考えられるだろう、というところから作品がスタートしました。

藤田 なるほど。

辻村 初めて恋人ができた嬉しさで周りが見えなくなる――そんな「盲目的な恋」には誰しも覚えがあるから、読者の記憶に訴えかけることはできる。でも「盲目的な友情」の方は、感じたことがあったとしても、それがみんなの共通した経験や思い出にはなっていないので、どうしたら共感してもらえる段階までもっていけるかが重要だ、と。

藤田 確かに、友情について「盲目的」とは、滅多に使わないですね。

辻村 なので、友情は恋に敵わないのだろうか?という大枠のテーマから考え始めました。例えば、自分が恋をしていない時、周りから半分惚気のような悩み相談をされてうんざりしたことは、きっと多くの人が経験しているはずです。そういうエピソードをうまく物語にとりこんで、共感の幅を広げられるように心掛けました。ノンストップに書いていったので、「友情」の方がより、行間から溢れるものがあって、それが爆発したような感じなのかもしれません。

 また、大学生という設定にしたのは、サークルという閉じた集団で密に付き合い、互いの家を行き来したりして、恋や友情がべったりとした関係に陥っていく最初の時期だと思ったからです。

藤田 自分一人の時間や空間がそれ以前より増えて、大人っぽい恋をしていると勘違いするのだけれど、やっぱり拙いのが大学生ですよね。それと、これは僕がリアルにみてきたことですが、男の子は、高校で童貞を捨てるか否かで、その後の人生が大きく分かれてしまうんです。大学に入って初めて女性を知ったことで性欲が一気に加速し、女性に対して恐ろしいことをしてしまう……ひりひりする痛々しさは、まさに遅咲きの狂い咲きと言えるでしょう。

女にとって美醜とは

辻村 最初にのめり込んだ相手がどんな人間だったかということも、その後を左右すると思います。菜々子という化け物みたいな女に支配されてしまったから、茂実はああいう運命を辿ることになり……。蘭花にとっては茂実がそれにあたる存在なわけですが。

藤田 誰と付き合うにしても、その人に刻み込まれた過去には必ず触れてしまう――僕はそれがとても怖いです。「シャツを裏返したまま洗濯に出さないでよ」と洗濯のやり方を責められるとしたら、ああ、前の男は裏返しにはしなかったんだと実感させられる。彼女は、一人であって一人じゃない……。とはいえ、処女がいいというわけではなくて、秘密は秘密のまま、何も知りたくないだけなんです。

辻村 でも、女の子は知りたがりませんか?

藤田 ええ、かなり……。前の彼女と別れた理由を聞き出すところから徐々に「裁判」が始まっていって、挙げ句の果てに、前の彼女にしたことや言ったことで責め立てられることすらあります。

辻村 随分煮詰まった裁判ですね(笑)。でも、留利絵もきっとそういう裁判をしてしまうタイプでしょう。

藤田 留利絵といえば、「友情」パートを読んで率直に感じたのは、女性にとっての美醜とは、男には分かり得ないほど細かいものなのだということです。「そこまで考えていたんだ……」と。例えば、僕の劇団の女優が衣装を選ぶとき、つい「それでいいじゃん」とあっけらかんと言ってしまいそうになるのですが、ポロッと出た一言が彼女にとっては永遠に忘れない言葉になることがあると知って、軽率な発言を控えるようにしています。

辻村 「それでいいじゃん」は「どうでもいいじゃん」に聞こえたりしますからね。

藤田 女性の顔や体だけでなく、美意識について、決して口を挟んじゃいけない膜のようなものが現れる瞬間があるとも最近感じるのですが、それは獣肉を食べたときの感覚に近いような気がしています。鹿の肉や熊の肉を食べると、口の中が油の膜で覆われるのと似ていて……。

辻村 男性にとっては、見えない壁であり、触れてはいけない一線であるということですかね。私はこれまで、女同士の優劣を、美醜を柱に描いたことがなかったのですが、今回初めて考えてみて、いかに醜いかということよりも、美人に生まれなかったということの差を皆が感じているのだと、書けば書くほど分かってきました。

藤田 個人的には、いわゆる美人と呼ばれる人があまり好きではなく、芝居のオーディションでも容姿で選んだことは一度もありません。でも、男性性として存在する僕が、ブスと言われてしまう人をどんなに評価しても奇麗事に過ぎず、お前は何に救いの手を差し伸べているんだって、自分でも突っ込んでしまうくらいだから、簡単に解決するようなことではないと理解しているつもりです。それでも、自分がどう生まれたかということをそんなに気にする必要はないと、男性代表として言いたくなったのは、この物語が、表層的なところから深く踏み入った問題を提示してくれたからだと思いました。

ぬるい創作は許さない

辻村 藤田さんの舞台を拝見して衝撃だったのは、言葉の通じない相手までも呑み込む力を感じたことです。人が殴られるということや、人が倒れてダウンするということがどんなことなのか――その場にいる人たちに一瞬でも想像させるために、身振り手振りを交え、がむしゃらに伝えようとする様には、そもそも伝わらなくて当然で、でも、どうにかして伝えたいという気概を見たような気がしました。たとえて言うなら、うちの二歳の子どもが、まだ言葉というものを完全に操れない世界の中で、どうにか「バナナが食べたい」とか、そういう気持ちを全身全霊で伝えようとするような熱量。分かってくれる人にだけ分かればいい、などという考えが恥ずかしくなったし、こんなすごい人がいる世界でぬるい創作はできないな、と横っ面を張り倒されたような感覚がしばらく抜けませんでした。

藤田 それは役者さんたちの力が大きいです。僕はぬくぬく生きていますから(笑)。劇作家は、あくまで役者さんの体ありきでの言葉しか書けないので、小説とは別物だと考えています。僕は作品の中に子どもをよく登場させるのですが、ストーリーをより面白くするための装置という以上に、子どもの言語感覚が拙ないということに惹かれているのだと思います。先ほどお子さんのお話が出ましたが、ボキャブラリーが乏しいと、例えば、いじめられたら泣くし、怒りたかったら殴る、というように、体が伴わないと気持ちを伝えられない。これは役者も同じで、アドリブを禁止された状況では、脚本通りに、演出家の指示に従って話すことしかできないのですが、そんなふうに限定された中で、その役をもっと豊かに表現するために、役者が言葉に頼らない瞬間が生まれることがあって。その期待を込めて僕は脚本を書いているのです。

辻村 子どもを描くことが一番難しいと感じているので、藤田さんの絶妙な描写は本当に素晴らしいです。

藤田 子ども時代がどんどん遠ざかっていく一方なので、こぼれ落ちていく感触はもちろんあって、いつまで描けるのか恐怖も感じています。これまでの作品も含めて、作中に傷つけたり傷つけられたりする場面が多いような気がするのですが、辻村さんはいじめについてはどう考えていますか?

辻村 はっきりと「いじめ」という言葉を使うことはしてきませんでした。現実の「いじめ」は一つ一つ事例が違うし、いじめられていた子がいじめる側に一瞬で立場を変えることもあるので、なるべく丁寧に扱いたいんです。この作品の中では、留利絵が「いじめられている」立場ではあるのですが、留利絵は相手のことを「自分を疎外する低能な人たち」と思って見下している。単語ひとつで表現出来るようなことではないと思います。例えば「アラサー」にしても、そういう言葉を使わず物語全体で伝わるようにしたい。それに、「いじめ」という言葉を与えられた途端、屈辱感から生きていけない人もいるはずですから。

藤田 作り物の世界では、びっくりするくらい徒らに残酷さをエスカレートできるから、寝る前に「あの役者さん可哀想だな」と思ってしまうこともあります。

辻村 それはとても大事な感覚だと思います。登場人物を身体的にも精神的にも追いつめて、絶望をどうスタイリッシュに描くかなんて、正直もう古いと思うんですよね。暴力性をどのように表現するかで、作家の倫理観は測れるはずです。藤田さんの倫理観はとても信頼していて、これからも楽しみに作品を拝見させて頂きます。

藤田 今度はぜひ稽古場に遊びにきて下さい。

(ふじた・かたひろ 劇作家・演出家)
(つじむら・みづき 作家)

辻村深月『盲目的な恋と友情』978-4-10-328322-5