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書評・エッセイ

ショウワテンノウヨモノウミノナゾ昭和天皇 「よもの海」の謎

平山周吉

1,210円(税込)

御前会議で読み上げられた明治天皇の御製、その解釈を巡る闘いが昭和史を動かした――。

「よもの海みなはらからと思ふ世に……」、それは本来言葉を発してはいけない天皇が、戦争を避けるためにあえて読み上げた御製であった。しかしその意思とはうらはらに、軍部強硬派による開戦の口実に利用され、さらに戦後の戦争責任にも影響を及ぼしていく……。御製はいかに翻弄されていったのか――知られざる昭和史秘話。※単行本に掲載の写真は、電子版では一部収録しておりません。

「ことだま」の支配する国のあのとき

――平山周吉『昭和天皇 「よもの海」の謎』(新潮選書)

片山杜秀

 三十一文字の解釈が国家の命運を決する。五七五七七の読み方ひとつで戦争と平和がひっくりかえる。『万葉集』の時代の物語ではない。『古今和歌集』でもない。現代だ。昭和だ。それも日米が開戦するかしないかという決定的局面での話だ。そのとき大いなる役割を果たしたのは和歌であった。しかも和歌というカードを切った現人神のつもりを離れて、和歌は勝手に歩いていった。何しろ「ことだま」である。現人神さえ和歌の「ことだま」を自由にできない。逆に制せられる。零戦が飛行しようが戦艦大和が航海しようが、この国の主役は機械でも人間でも哲学でも、ついに現人神でもなかった。「ことだま」であった。嗚呼、神秘なる国柄よ!
 本書は「ことだま」の支配する国のあのときを丹念に調べ抜く。そう、あくまで丹念に。あの時代の人々の思考法や、持てる知識に寄り添って。後世の物差しにはめ込むのではなく。定説を信ぜず。素直な好奇心を忘れず。あのときの新聞を読み、書物を漁って。ひたすら足を棒にする老刑事のように。決してブリリアントな名探偵の作法にはのっとらず。
 まさに執念の寄せ。神津恭介というよりは鬼貫警部であろう。鬼貫警部を笠智衆が演じている。そんな風情だ。評論や研究というよりもノンフィクション。いや、やはり推理小説の書きっぷり。著者が登場して資料を読んでゆく。そんな経過が継起的に書かれているから、その感はますます強い。
 そうやって本書は「ことだま」の正体を追いつめてゆく。昭和天皇の思想と行動の核心にふれる。日米開戦の意思決定の重大な過程を抉っている。曖昧なる日本的政治原理を解明している。政治と文学の癒着という大テーマを提出する。つまりは天皇と和歌の問題である。明治天皇も召喚される。
 多くのことが推測なのかもしれない。法廷なら証拠不足かもしれない。が、恐らくかなり当たりなのだろう。入念な思考に説得される。何度シャッポを脱いでも足りないくらい。これはもう日本近代史を書き替える本であろう。
 本書の主役とも呼べるのは明治天皇の御製。「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」
 一九四一年の日米開戦の是非を問う御前会議。昭和天皇は異例の行動に出る。この和歌を朗誦したのだ。よく知られた出来事である。「よもの海」は、明治天皇が日露戦争回避の意向を示した和歌ともされる。
 上御一人であり大元帥である天皇が、歴史的御製を引き、日米戦争不可の意思を表明した。大元帥が明確に避戦と述べているのに軍が逆らうはずはない。仮に逆らいたくなったとしても相当に躊躇しないはずはない。陸海軍人の天皇への忠誠心とはそういうものだ。その時代の当たり前に照らすならば。軍人が天皇の平和宣言たる「よもの海」を無視して暴走できはしないだろう。ところが戦争は始まった。なぜなのか。戦後の歴史家たちはそのへんを曖昧にしてきた。
 著者はそこに斬り込む。天皇が「よもの海」で避戦の決意を示したのに軍人がそれを無視したのではないとすれば、「よもの海」がそもそも避戦を意味していなかったのではないか。昭和天皇は日米戦争不可のつもりで「よもの海」を朗誦したとしても、そこに発せられた「ことだま」が戦争を許容する解釈を有していれば、その先は天皇個人の意思を超越する。そして昭和天皇は「よもの海」の解釈の多義牲について恐らく無知であった。カードを切り損ねた。かくして昭和天皇の思想と行動は「ことだま」に屈したのだ。そして天皇が一大覚悟を込めた「ことだま」はそう簡単に言い換えるわけにはゆかない。ずるずる行くのである。
 天皇に訪れた次の機会は、恐らく昭和二十年八月の御前会議であった。そのとき天皇はもう非合理な「ことだま」に頼らなかった。プラグマティックな言葉で、別の解釈の可能性を封じるかたちで意思を示した。軍人も今度は従った。都合のいい別解釈ができなかったからだろう。これを聖断という。
 日本の戦後は政教分離の原則をうちたてた。現人神というのは政治宗教である。政教を分離すれば現人神は機能せず、日本は民主化され、合理的思考が行き渡る。そう考えられたのだろう。が、本当の問題は天皇と和歌、政治と文学ではなかったのか。そこには日本語の構造、日本人の美学、意思疎通の作法も介在するだろう。「政文分離」ということがもっと意識されるべきなのだ。今も「ことだま」はこの国を飛び交っているのではないか。そのことが身に染みていたのは昭和天皇だけだったのかもしれない。本書を開いていると、手に汗を握りつつ、そういう思いにばかりとらわれる。
 ことだまを操るつもりが操られ何時の間にやら負け戦かな。

 (かたやま・もりひで 評論家、思想史家)

平山周吉『昭和天皇 「よもの海」の謎』(新潮選書)978-4-10-603745-0