対談・鼎談

2014年5月号掲載

道尾秀介『貘の檻』刊行記念 書店員座談会

贅沢すぎるミステリー

沢田史郎 × 新井見枝香 × 成川真

道尾秀介さんが八年ぶりに書下ろした長篇小説『貘の檻』。
発売を機に、道尾さんの作品を愛してやまない三人の書店員さんにその魅力を熱く、存分に語り合っていただきました。

対象書籍名:『貘の檻』
対象著者:道尾秀介
対象書籍ISBN:978-4-10-135556-6

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小説家の生きた年月

成川 久しぶりに道尾さんの本格的なミステリーを楽しませてもらいました。ホラーテイストもあって、デビュー作の『背の眼』を思い出して懐かしい気もしましたし、今までの道尾さんの小説に含まれていた要素がすべて詰め込まれているように思います。しかも、過去の作品より進化し、昇華された形で盛り込まれていますので、とても贅沢な小説だなと思いました。

沢田 僕は実はミステリーがあまり得意ではないのですが、道尾さんの小説には必ず、謎解きだけにとどまらない重層的な魅力がありますよね。それが読みたくて手に取るのですが、今回も読んでいる間の感覚と、読み終わった時の印象がガラッと変わったのがとても面白かった。ずっと陰鬱な雰囲気で物語が進んでいくのに、読後感は意外にもすごく暖かいんです。そこが驚きでしたし、好きになりました。もっと続きが読みたいとさえ思いましたね。

新井 この作品は信州の寒村が舞台になっていて、そこにある穴堰という地下の用水路が重要な役割を果たすのですが、道尾さんの小説には水がよく出てくるでしょう。今回も水だ、と思いました(笑)。それに、必ず独特の匂いが立ちこめていますよね。『月と蟹』では生臭い匂いだったり……。この小説からも水の匂いや湿った土の匂いが立ちのぼってくるところがとても魅力的でした。もう一つよかったのは優しさが随所に鏤められていること。主人公と一人息子が行動をずっと共にしますが、最初は最悪だった親子関係が次第に変わっていきます。そこに救いが感じられて、最終的に優しい小説だなと思って頁を閉じました。

成川 『月と蟹』の時に痛感しましたが、相変わらず道尾さんは少年の心理を描くのが上手ですよね。

新井 私は時々、道尾さんは少年なんじゃないかって思うんです(笑)。この本の中でも、子どもがお父さんと玩具屋に行って「好きなものを買ってやる」と言われる場面があって、子どもはお父さんが失業したことを考えて、絶対にいらない弓矢を選びます。そこが心に残りました。

沢田 少年って、大人が思っている以上にいろんなことを考えて、気を遣ったりもするじゃないですか。その辺の描写がとてもいい。

新井 私たちがすっかり忘れてしまっている感覚を思い出させてくれます。その一方で父親の心も、とてもよくわかるんです。だから、道尾さんの小説を読むと、小説家は生きた年月とは無関係なんだなと、いつも思いますね。

沢田 ああ、それはすごくよくわかる。当たり前ですが、経験を反映させるだけじゃないんだよね。むしろ経験を反映させていたら何も書けないでしょう。

映像にはできない表現

成川 タイトルが物語っているように、この小説では「夢」が主要な題材になっています。主人公が繰り返し見る悪夢の描写がとにかく凄い。これだけでも作品として成り立つんじゃないかと思えるほどです。

新井 自分が死んで蜘蛛になって、その目線で描かれたりするのがとても印象的でした。

成川 主人公の心の中に残っているものが悪夢として蘇ってくるわけですが、後半になればなるほど、出口が見えない中で現われる夢が恐怖心を募らせます。

沢田 何かを暗示している夢なんだろうなと思いつつも、ミステリーは苦手なので謎解きは諦めて(笑)、おどろおどろしい雰囲気を堪能しました。読みながら、なんとなく横溝正史を思い出しましたね。

新井 道尾さんの小説全般に言えることだけど、頭で考えて読まない方がいいと思うんですよ。夢のシーンも、極端に言うと夢でも現実でもどちらでもいい。丸ごと受け止めて感じればいい。そんな気がしました。

沢田 方言の使い方も効果的ですよね。方言って、優しくも聞こえるんだけど、使い方によってはこんなに不気味に感じられるのかと思いました。それもまた横溝みたいで……。

成川 冒頭の夢の場面で「おいなあ、おいなあ。われもおいなあ」という言葉がリフレインされますが、それだけで相当に怖くなってきます。そういった日本語の響きが読者に与える効果を、道尾さんはとてもよくわかっているんですね。

新井 全体に会話では信州の方言が使われていて、「……ずら」「……だに」という語尾が多いんですけど、それがすごくナチュラルでいいと思いました。

沢田 確かにこれが全部標準語だったら、まったく違う印象の小説になりますよね。

成川 沢田さんはいつも道尾さんの文章の魅力を語っていますが、この本の中で惹かれた描写はどこですか?

沢田 沢山ありすぎて、言い出すと切りがない(笑)。たとえば、山奥である人物が登場する場面を「道の中央に生えた雑草をバンパーでこすりながら、一台の軽トラックが近づいてくる」と書かれています。これだけで情景が頭の中に鮮明に浮かんできますよね。実際に田舎の山道って、左右がタイヤで削られていて、真ん中は土が残って雑草が生えているでしょう。

成川 さすがに目のつけどころが違いますね(笑)。

沢田 こういう部分で手抜きをしないところが、好きなんです。もし、この場面が映像で映し出されたら、そんな細かいところまで見ませんよね。道尾さんは常々、「映像にはできない表現をしたい」と言っていますが、映像では草がバンパーをこすっているなんてあっという間で、誰も気がつかないでしょう。ストーリーに直接関わる描写ではありませんが、こういう細部まで読者に見せてくれるのが道尾さんなんですよ。

新井 私が好きなのは、あるシーンで突然、謎解きのために生イカが出てくるでしょう。ああいう時って、道尾さんがニヤッとしている感じがするんですよ(笑)。読者が驚いているのを想像して楽しむ、いたずらっ子のようなところがあるように思います。私は本当に驚きましたけど。「え、生イカ?」って。

沢田 わかる、わかる(笑)。もうひとつだけ挙げさせてもらうと、物語の後半で主人公が真相を探るためにある女性の家に忍び込む場面があって、その女性が戻ってくるところが描かれています。「……背後の線香を短く振り返り、しかし表情を変えずにまたこちらへ向き直った。すぐには言葉が出てこないようで、音を立てて息を大きく吸い、私の顔を睨みつけながら、少しずつそれを吐き出す」。この描写、凄いですよね。まるで実際にあったことを見ながら書いている感じがする。ここも物語の上では無くてもいいんですけど、読んでいてこういった描写に出会うことが、僕にとって道尾さんの小説を読む喜びなんですよ。

成川 さっきの夢の描写だって、極論すればあそこまで無くても小説としては成立するかもしれない。でも、それが丁寧に描かれていることで全体の雰囲気がグッと深みを増しています。

神がかったマトリョーシカ

成川 この小説の凄さは、何本ものトリックを同時に進行させているところです。しかもそのすべてが最後に見事に収束していく。犯人に関してもまったく想像がつきませんでした。僕が最初に読んだ道尾さんの本は『片眼の猿』で、その帯に「正答率1%」といったことが書いてありました。それを見て「絶対に騙されないぞ」と意欲が湧いたのですが、見事に騙されました。以後、ずっと騙されつづけています(笑)。

新井 少しずつずれていた話が、最後にすべてカチッとはまる。その全体構造はもはや神がかっています。私だったら、こんな作品が書けたらもう隠居するね(笑)。

成川 ネタばれになるので詳しくは言えませんが、途中で昆虫を使ったトリックがでてきます。これなどは、独立した短篇にできるくらいのアイデアだと思うんですよ。だから、なんて贅沢な作品なんだろうと感じました。

沢田 道尾さんには申し訳ないのですが、僕は犯人の予想がまるでつかないので騙されもしなかったけど(笑)、本当に驚きの仕掛けが次々に出てきますよね。まるでマトリョーシカみたいな作りになっています。

成川 道尾さんは「初めにこの物語を思いついたとき、興奮と緊張を同時に覚えました」とコメントしていますが、この複雑な物語のどこを最初に思いついて、どうやって組み立てていったのか知りたいですね。しかも、謎解きの部分が易しく、わかりやすいように書いてあるんです。これなら沢田さんでも大丈夫だろうと思いました(笑)。

沢田 確かに僕でもまったく混乱しなかった(笑)。それはきっと頭の中で相当、練りに練った上で書いているからなんでしょうね。いつも思うんだけど、道尾さんは特別に難しい単語を使うわけじゃない。誰でも知っている単語を組み合わせて、見たことのない文章を書くんですよね。これからもそんな作家であり続けてほしいです。

成川 道尾さんは、かつてミステリー作家とは呼ばれたくないと言っていました。同時にトリックならいくらでも思いつくとも言っていた。でも今回の作品を読んで、道尾さんにとってトリックを作ったり伏線を撒いたりすることは、ミステリーではない物語の展開を考えるのと大きな違いはないのだろうと思ったんです。だから、今後もミステリーであろうとなかろうと、構わない。常に前の作品を超えようとする道尾秀介でい続けてくれれば、ずっと楽しませてもらえると確信しました。

新井 私はもう全部の作品を読んでしまったので、とにかく私より長生きして書き続けてほしい。道尾さんへの願いはそれだけです(笑)。

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