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書評・エッセイ

ついに完結! それでも続く「いと」の「みち」!

――越谷オサム『いとみち 三の糸』

藤田香織

 桜も散り、出会いと別れの季節もようやくひと心地ついたと思っていたところ、そうだ、こんな別れもあったのだと、本書を手にまた少し寂しくなった。
 二〇一一年の夏に一作目が刊行された越谷オサムの青春小説「いとみち」シリーズがついに完結。幼い頃に母親を亡くし、現代では絶滅危惧種的濃厚な津軽弁(読者にも理解不能故、作中では記号で表記されるほどの!)を話す祖母に育てられたことから、強烈な訛りコンプレックスを抱える主人公・相馬いとの「お、おがえりなさいませ、ごスずん様」も、今回で聞き納めである。
 極度の人見知りにもかかわらず、一大決心して始めたメイドカフェでのアルバイトをきっかけに、少しずつ成長し、一作ごとに年齢を重ねてきたいとも高校三年生。進路を決める時期になった。祖母ハツヱ仕込みの津軽三味線以外、なにひとつ自信の持てるものなどなかったいとが、進むべき「みち」にと思い描いたのは〈何か都市や町のありようを学べる分野に進みたい〉ということだった。閑散とした青森市や弘前市街から〈テナント募集〉の張り紙を一枚でも減らしたい。活気ある街にする妙案は今の自分にはないけれど、都市工学を学べばヒントを見出せるのではないか。
 しかし、いとの希望に沿う大学となると、青森県内にはないに等しかった。となればやはり東京? 臆病で、極度な引っ込み思案ないとがひとり暮らし? 本人も不安だろうが、シリーズを読み継いできた読者だって心配だ。本書には、前作同様、そんないとの約一年間が描かれていく。
 とはいえ、作中で流れる月日は同じでも、十八歳の春夏秋冬はとりたてて変化のない大人の一年とは濃度が違う。漫画家になるべく上京したメイドの先輩・智美と入れ替わりで、新しく「津軽メイド珈琲店」にやって来た問題児チハルの指導。〈どうにもこうにも気になって仕方がない〉写真部の後輩、鯉太郎の存在。オープンキャンパスで上京すれば「自動販売機はどこですか?」という簡単な言葉さえ「……寸胴……半泣き?」と聞き返される。どうにかしたい気持ちはあるのに、今ひとつ勇気が出ない。根深いコンプレックスと弱気の虫が騒ぎ出す。
 それでも。いとは慌ただしく過ぎていく日々のなか、身の丈に合った速度で大きくなっていくのだ。恐る恐る一歩を踏み出したことで、彼女の視野がぐっと広がる瞬間に、たまらなく胸が熱くなる。印象的なシーンや台詞も数えきれない。
「啖呵切った相手が多いほど、心細くても頑張れるから」と小さなベッドで智美がいとを抱きしめる場面。成り行きで鯉太郎の家に一泊することになり(!)、翌朝、自分の浅はかさを恥じ入る場面。「そもそも受験にピンチなんかね。あるのはただ、合格へのチャンスだけだぁ。落ちたとごろで前科がつくわけでも、刑務所に放り込まれるわけでもねえべや」という前科二犯の元オーナーの言葉。
 七十九歳になるハツヱが津軽三味線の全国大会に出場し、その結果を受けたいとは考察する。〈彼女のおそろしいところは、どんな曲を取り入れてもただのコピーには陥らないことだ。外国人が外国の風土の中で作った曲も、ハツヱの手にかかれば津軽で演奏されるにふさわしい響きと粘りを帯びる。その個性の強さは、文字どおりの「ザ・ワン」だ〉。
 越谷オサムの青春小説もまた同じだ、と思う。恋と友情、家族の絆と、本人の成長。奇をてらうことのない、ありふれた題材にもかかわらず、誰にも似ていない、オリジナルの旋律を奏で読者を魅了する。この世界にもっと触れていたいと思わせる力があるのだ。
 果たしていとは無事に希望の大学へ進めるのか。だとすれば、それはどこになるのか。鯉太郎との恋の行方は、メイドカフェのこれからは――。えっ!? と驚くサプライズを用意しつつ、物語は加速していく。旅立ついとの姿を見送りながら、いつかまた思いがけない場所で、再会できる日が来ることを祈らずにはいられない。
 いとの、そして私たちの人生が続いて行く限り、その可能性はあるのだから。

 (ふじた・かをり 書評家)

越谷オサム『いとみち 三の糸』978-4-10-472305-8