インタビュー

2014年5月号掲載

『風通しのいい生き方』(新潮新書)刊行記念インタビュー

人間にとって居心地のいい場所

曽野綾子

人間関係は深く絡み合ったら、互いにうっとうしい。世間の風が無責任に吹き抜け、お互いの存在の悪を薄めるくらいがちょうどいい……成熟した大人として、自分と他者、ままならない現実とどう向き合えばいいのか。

対象書籍名:『風通しのいい生き方』(新潮新書)
対象著者:曽野綾子
対象書籍ISBN:978-4-10-610564-7

――第二話「家も人間関係も風通しが大事」からは、「母の教えが」今も根付いていることがうかがわれます。

 確かにそうですね。この古い家は母の考えの通り、前後左右の風通しを考えながら増改築を重ねてきました。それから、どの部屋にも少なくとも二面に窓をつくること、家の外では壁面に植物がつかないようにすること。壁にくっついたり、重なり合ったりするのは植物自体も嫌いますから、子供の頃から気がついたら枝や葉を切るようにしています。

 自分で畑仕事をするようになって分かったのですが、野菜は日当たりと水と肥料が充分ならいいわけではありません。木漏れ日ぐらいの陽射しを好む種類もあるし、かなり大事なのは風通しです。風の通り具合が悪いとカビや虫がつきやすく、すぐに病気になってしまいますね。

 マスコミの世界は違う意見に対しても寛容でも、普通の企業では、上が決めたことには反対しない、という空気があると聞きますね。若い人たちの間では、フェイスブックやツイッターで発信するのが流行ですが、そうすることで風通しがいいと感じられるのかどうか疑問です。

 言いたいことが言えない、自分を認めてもらえない、組織は何もしてくれない、そんなふうに考えると行き詰まるばかりです。植物も人間も組織も世の中も、やはり風通しが大事だということですね。

――「床は物を置く場所にあらず」という言葉はシンプルですが、意外に印象的な教えです。

 それも母の気質を受け継いだものでしょう。実際は、夕方までに片付ければいいか、ぐらいのいい加減さですけどね。ただ、「物を置かない」と常に意識はしていても、「絶対に置いてはダメ」というのではかえってよくありません。家の中で、お互いが風通しよく暮らすには、絶えず逃げ道をあけておくことも大切なんですね。

 母は私と同じで少々いい加減なところもありましたが、私が通った聖心女子学院は、躾という面ではとても厳しかったですね。例えば戦後すぐの頃、GIを真似して歩きながらコーラを飲んだり、ガムを噛みながら人と話をしたり、というのが流行った時も、「教養のない者がすることだから」と絶対に許さなかった。権威だから従うとか、流行だから大目に見るとかではなく、むしろ逆らい続けていたように思います。

――「自分が傷つかずに他者は救えない」(第四話)では、震災後の世間の流行、メディアの風潮に疑問を呈しています。

 室生犀星が「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの」と謳ったように、あるいは聖書に「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」(『ルカによる福音書』4・24)という言葉があるように、故郷というのは良くもあり、悪くもある場所なんですね。

 故郷は人間にある種のしぶとさや強さを与えてくれます。雑然として、それでいて理詰めの都会で生きていくために、人それぞれの“故郷流”で適応しているはずですし、やがては帰っていく場所でもあるでしょう。でも一方では「あまちゃん」や演歌の歌詞のように、何十年間も皆こぞって「東京さ、いぐだ」と故郷を捨てて、都会を目指してきました。

 ですから本来、故郷は何ごともなく静かであるのがいい。でも、故郷を取り戻す、誰もが帰ってきたい、故郷はいいことづくめ、という言い方は嘘であって、図式化したとらえ方だと思いますね。

――図式化というのは、「労を惜しんで衆を恃む行動」(第三話)、自由に意見を言いにくくすることにもつながります。

 言いたいことが言えない世の中というのは、実に息苦しいものです。私自身、もうこの国から逃げだしたい、と思ったことがありました。一九七〇年代、創価学会の言論弾圧事件(月刊ペン事件)があり、次に文化大革命の中国を礼賛する報道があふれ、そして第三波として「差別語」に対する極度の排斥の波が押し寄せた頃ですね。

 けれど、足が悪くても目が見えなくても、それゆえに立派な人生を送る人もいるし、だからこそ深い尊敬と魅力がそこに生まれる。たとえ悪意のある言葉でも、きちんと残しておかないと人間の悪を描くこともできなくなります。

 よい言葉でよい人間しか描かないというなら、文学も図式的なものになってしまう。言論や表現の自由は、世の中を風通しよく健全に保つために必要なのです。

――最近は外交関係も風通しがよくないですが、第十六話では、日韓関係の悪化をめぐって私的な経験を書かれています。

 韓国の大統領は「被害者、加害者の立場は千年経っても変わらない」と言ったそうですが、それは「沖縄は良くて悪いのは本土」、「反原発は善で再稼働は悪」という図式化された単純な考え方で、私にとってはどうも受け取りにくい。

 本当はどちらの側にも立派な人もいれば、いい加減で駄目なのもいる。善悪どちらでもないのが人間のありようで、そこを理解するのが哲学や文学の意義ではないでしょうか。この世には「完全な善」と「完全な悪」がある、と考えたがる人もいますが、人間は誰でも間違いを犯すものだし、未来を見通すことだってできません。

 かつての日本軍はそれほどの「完全な悪」だったのか、あるいは安倍首相は善人か悪人か、誰も決めつけることはできない。それを決められるのは神様だけであって、どちらでもないあやふやな中間の要素が必ずあるんです。「分からない」という曖昧さに耐える勇気を持つことが、人間にとって大切なのです。

――「勇気をもって妥協の道を歩めるか」(第十五話)など、論争の続く原発問題についても、自身の考え方を述べています。

 ある知人は「電気を切ってしまえば皆、目が醒めますよ」と冗談交じりに話していましたが、現実を理想論でしか見ようとせず、言いたいことだけ言うのは「要求」と同じです。

 大体、私を含めて作家というのは大抵は小説のことしか知らなくて、何か深く知っている事があるとしても、原発やエネルギーなど分からないことだらけです。最近は講演などで、「曽野さんは原発に賛成ですか、反対ですか?」と意地悪く聞かれることがありますが、私は「分かりません」としか答えようがない。「日本には一億二千万人の国民がいて、その中には優秀な学者がたくさんいる。私は原子力についてはよく分からないので、自分の生活も子孫の未来も、専門家の指導にお任せしています」ということです。

――「黙して働く人々のドラマ」「人知れず世の中を支え続ける仕事」(第十一・十二話)は、小説の中でも描いてきました。

 大企業や官庁などでは失敗することを恐れ、何事もなく過ごすことだけを考える人も多いようですが、敢えてそれに逆らい、濃厚な人生の時間を送った魅力的な人たちを私はたくさん知ることができました。

 またダム屋と呼ばれる土木の専門家、三万キロも陸影を見ることなくプルトニウムやLNGを運ぶ船の乗組員、非常時に備えて発電機を磨き続ける電力会社の作業員など――世間の注目を浴びるどころか、反感を浴びせられるような立場にいながら、彼らは黙々と世の中を支え続けてきました。作家にもそれぞれ好みがありますが、私自身はそういう人々の現場が大好きですね。

――現場視察や、アフリカをはじめ海外出張も多いようですが、元気で仕事を続けられる秘訣は何なのでしょう。

 元気だなんて、とんでもありません。線維筋痛症やら帯状疱疹やら、体中が痛んでばかりです。でも私は「お元気」でないからこそ、外に出るようにしているんです。老人が家にこもってばかりになるのは良くないし、家の中にいても、仕事の合間にしじゅう料理をしたりして、気を紛らわせています。と言っても本格的なごちそうなどではなく、大根やコンニャク、旅先で買った安いお豆など、残り物やあり合わせの食材を使って工夫するだけなんですけど、それが案外に楽しいのです。

 健康のための方法論というのは人それぞれですし、私だって決して元気でも健康でもなく、ある程度の不健康と不具合とうまく付き合えているにすぎません。

 使い古しでうまく閉まらないドアを少し持ち上げてから押し込めば何とか閉まる、みたいなもので、歳をとれば自分の体もそれが当たり前。悪いところを見つけるための検診は二十年ぐらい受けていないし、あちこちガタはきていますが、長年使い慣れた体だから何とかこなせているんですよ。

――昨年末まで約一年、教育再生実行会議委員も務めました。

 皆さん、教育は制度によって改変される、という考え方が強いんですね。でも私は、いじめのような問題はいくら制度を変えても絶対になくならない、人間の原罪のようなものだと考えています。ですから議論がかみ合わないというか、お役に立たない。最後は官邸に行くのが憂鬱になってしまいましたけどね。

 もちろん、制度を良くしていくこと、欠陥があれば見直すことは大切です。しかし結局、教育というのは少なくとも小学校高学年くらいからは本人の責任が半分、次いで親が四分の一、教師や友人、社会制度が残りを補うものだと思います。

――幼い頃の教育については半分以上が親の責任、とも。

 最近は、女性は子供を産んだら仕事をやめなさい、と言うと叱られますが、動物としての人間は小学校に入るぐらいまでは親とベタベタしているのが自然だろうと思いますね。あれこれ制限したり、他人に世話をしてもらったりするより、子供が泣いたら泣きやむまで親があやして抱きかかえて、というのが幼児期らしい、本来の姿だろうと私は思います。

 私のところには秘書が三人いて、それぞれ大学を出てうちに来て、十年ぐらいもすると結婚して子供を産み、そこでいったん辞めてもらい、子供が大きくなったらまた来てもらっています。その辺は企業なども考えてくれるといいのですが、全員が再雇用です。そのぶん年をとるこちらとしては、お嫁に出した娘が戻ってきたような気分で、おかげでとても居心地のいい仕事場になっていますね。

 (その・あやこ 作家)

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