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書評・エッセイ

ニホンゴノミッシングリンクエドトメイジノレンゾクフレンゾク日本語のミッシング・リンク―江戸と明治の連続・不連続―

今野真二

1,232円(税込)

同じ日本語なのに、江戸時代と現代では、なぜこんなにも違うのか?――

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」――例えば、この芭蕉の言葉も現在の日本語とはずいぶん違う。では、いつ、どのように変化を遂げたのか? 「中間の時代」である明治期に注目し、「漢字・漢語=漢文脈」をキー・ワードに、その“断層”を探る。言葉が変りゆく現場を実感する、国語学のユニークかつ精緻なる冒険!

明治の日本語を虫瞰し、変化を体験する

今野真二『日本語のミッシング・リンク 江戸と明治の連続・不連続』

円満字二郎

 時代の変化を指摘することは、たやすい。しかし、時代の変化について具体的に語ることは、存外にむずかしい。ある時点とある時点とのものごとの違いはだれの目にも明らかであっても、その違いがいつ、どこで、どのように生じたのかは、注意深い者の眼にしか映らないからである。
 芭蕉や西鶴、近松が使った日本語と、われわれが使っている日本語とは、かなり異なる。その違いが文明開化の明治に生じたというのは、多くの人が知っていることだろう。明治の二〇年ごろから始まった文語文から口語文への変化、いわゆる言文一致運動である。
 とはいえ、明治という時代に、日本語には実際にどのような変化が起きていたのか? 本書では、近年、旺盛な著作活動をくり広げている日本語学者が、「漢字・漢語=漢文脈からの離脱」という視点から、この問題に果敢に挑んでいく。その方法を、著者は、「虫瞰」と呼んでいる。「鳥瞰」のように対象を高い所から眺めるのではなく、至近距離からじっくりと見つめるのである。
 たとえば、福沢諭吉の処女作となった『増訂華英通語』という幕末の英語辞書では、Custom house を説明するのに、まず「関津」という漢語(古典中国語)が示され、そこに「税関」という日本語が結びつけられる。ここに見られる日本語と漢語の結び付きは、想像以上に深い。
 明治に入ると、「漢語を和語でやわらげる」例が見られるようになる。一度、漢語を用いて訳した書物を、一般向けにするためにわかりやすく訳し直した丹羽純一郎訳『通俗花柳春話』には、そのことが具体的に現れている。
 ただし、この時代の日本語の変化は、そう単純なものではない。大槻文彦の国語辞典『言海』では、原稿には存在していた「中和」「痛飲」「定説」など、現在ではふつうに使われている熟語項目が、印刷時に削除されている。これらは、辞書に載せるには時期尚早と感じられるような「やや新しい漢語であったということはないだろうか」と、著者は言う。漢語から和語へという流れの一方で、明治という時代には、現在につながるような新しい漢語も生み出されていったのである。
 著者のこれまでの著作と同様に、本書が取り扱う文献は、広範囲にわたる。鷗外や漱石、二葉亭といった文豪の作品はもちろん、英和辞書や短歌、さらには都々逸などなど、ジャンルも多彩だ。そして、それぞれが豊富な図版で示されているのも、うれしい。
 著者の微に入り細をうがつ読み解きを聞きながら、実際の文献を自分の眼で「虫瞰」してみよう。そうすれば、明治の日本語の世界と、そこに現れている具体的な変化とをじかに体験することができるだろう。

 (えんまんじ・じろう 編集者兼ライター)

今野真二『日本語のミッシング・リンク 江戸と明治の連続・不連続』978-4-10-603744-3