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書評・エッセイ

僕の残りの人生は木村政彦先生からのプレゼント

――増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(上・下)』(新潮文庫)

増田俊也

 二〇一一年九月、この『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』のハードカバーが出版されたとき多くの書評が出た。そのなかで僕は芥川賞作家の平野啓一郎さんが書いてくださった書評がいちばん好きだ。
 平野さんの文章は、こう始まる。
《司馬遷は、恐るべき恥辱を受けた後に、「徹底的に大きな事を考え」、成し遂げた。彼は『史記』を著し、歴史を書いた。木村政彦は無論、歴史を書いたわけではない。歴史を書いたのは、彼を心から敬愛し、その恥辱を我が事として受け止めた著者の増田俊也氏である。物々しいタイトルに怯む事なかれ。これはまさしく魂の仕事である》(『波』二〇一一年十月号)
 僕が木村政彦先生の《恥辱を我が事として受け止めた》ように、平野さんはその繊細な感性で僕の気持ちを全身で受け止めてくださり、最後をこう締めくくっていた。
《生き恥をさらし続けた木村に対して、著者は最後まで、爽やかな憧れと敬愛の念を捨てない。その目差しのやさしさが読者の胸を打つ。
 この本には、やるせなさが満ちている。しかし同時に、この本は救いである。
 木村政彦は、最後に勝利した。彼はその魅力によって復活した。リヴェンジはここに、ペンによって果たされた》(同前)
 平野さんは《敬愛》という言葉を使ってくださっているが、この本を読んだ人たちの多くがこの本に《愛》という言葉を添えてくださる。女性読者もそうだ。新潮ドキュメント賞選考委員の恩田陸さんも《愛》という言葉でこの本を評してくださった。はじめ僕はこの本を愛をテーマに書きはじめたわけではない。しかし結果としてそう受け止められた。
 なぜなのか。このことは大宅賞受賞パーティのスピーチで触れさせていただいたが、僕の執筆動機がすべて木村政彦先生の復権のためだったからだと思う。人は自身をなげうち、他人のために何かをするとき、とてつもない力を出すことができる。その結果生まれたのがこの本なんだと思う。
 昨年出た北海道大学時代のことを書いた僕の自伝的小説『七帝柔道記』(KADOKAWA)に登場する北大柔道部の二期上の先輩で和泉唯信さんという方がいる。
 その和泉さんが『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』のハードカバーが出たときに名古屋に来て、こう僕をねぎらってくれた。和泉さんはあの作品のなかでずっと広島弁で話しているが、いまでもその広島弁で訥々と話す。
「これだけのことを一人の人間のためにやったんじゃ。あんたの人生にこれからどんな辛いことがあろうと、天国の木村先生が守ってくれるじゃろうて」
 和泉さんは現在医師であるとともに実家の寺を継ぐ浄土真宗の僧侶なので、こういう言葉が出たのだろう。そして和泉さんはこの『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』が『七帝柔道記』とどれほど密接に繋がっているか知っているからこそこんな言葉が出たのだと思う。
 実は『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は、小説家増田俊也の総決算である。まだこれから先たくさんの作品を書いていく僕が、いまから「総決算である」と言うのをいぶかしく思う人が多いと思う。
 実は『七帝柔道記』はこれからシリーズ作品として続編、続々編、続々々編と長く出版されていく。それらがすべて終わったとき、読者は『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』が壮大な物語のラストシーンであることを知ることになる。
 なぜラストシーンであるこの作品を先に書いたのかというと、僕は人生が有限であることを知っているからだ。死というものが、いつ訪れるのかわからないことを、自分とそしてまわりの人間の人生を通して知り尽くしているからだ。だから、書くべきものを先に書くべきだと思った。
 これから先、僕は生あるかぎり小説を書いていく。この先の僕の人生の残り時間は、木村政彦先生が僕にくれたプレゼントだと思っている。だから僕はこの命あるかぎり、小さく儚い生を、小説家として燃やし続ける。
 警察小説も書くだろうし、純文学も書くだろうし、歴史小説も書くだろうし、SFだって書くかもしれない。だけれどその作品群はすべてこの『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』に繋がっていく、生と死、男性と女性、人間の尊厳そのものを紡ぐ、壮大な愛と赦しの物語である。

 (ますだ・としなり 作家)

増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(上・下)』(新潮文庫)978-4-10-127811-7, 978-4-10-127812-4