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書評・エッセイ

歴史は顔を見ること、鏡を見ることから始まる

――塩野七生『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(上・下)

本郷和人

 本書は、中世という時代と格闘した神聖ローマ帝国皇帝兼シチリア王フリードリッヒ二世(一一九四〜一二五〇)の生涯を、力強く、緻密に描き出す。冷静沈着、思慮深くねばり強い。戦争より政治を得意とし、イスラムの王とも、信仰を超えて語りあう。家族や忠誠を誓う従者には十分な愛情を注ぐ。その姿は私には、時に源頼朝(一一四七〜九九)に重なった。
『弘法大師御手印縁起』と呼ばれる文書が高野山にある。ちょうどフリードリッヒ二世が活躍していたころ、領地の拡大を策した高野山が、根拠として提出した数通の文書である。重要なものに空海(弘法大師)の手印が捺されているため、その名が付された。高野山は、これに記された領域は全て寺領であると主張し、多大な成果を挙げた。だが実は、これらは空海の時代より三百年後に偽作されたのであった。
 朝廷は文書を管理する、という観念をもたず、いつ・どのような文書を発給したのか、記録しなかった。そのため『弘法大師御手印縁起』など、偽文書に容易に騙された。だが他者の悪意に翻弄される一方の朝廷などは無邪気なもので、ローマ法王庁は、自らが気宇壮大な偽文書の作成に乗り出していた。それが『コンスタンティヌス大帝の寄進書』である。
 三二一年、ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝は、帝国領の西半分を法王に贈与した。これに従えば、法王はヨーロッパ全域の正当な所有者であり、中世の皇帝も王も諸侯も、領土の統治を法王から委託されているにすぎない、ということになる。実際には、この『寄進書』は十一世紀に作られたもの、と一四四〇年に証明される。だが中世人は、内容に懐疑的でありながら、『寄進書』を否定しきれなかった。英明なフリードリッヒも、そうした中世人の一人だったのだ。
『寄進書』を高く掲げる法王は、中世日本の天皇によく似ている。違いはもちろんある。法王は枢機卿の互選で決定し、天皇は世襲である。法王が祀るのは一神教の神であり、天皇は多神教の神(仏)を祀る。でも両者はともに「神(仏)に祈る人」の統括者である上に、世俗の権勢に、王として将軍として存在する意義を付与する者なのだ。
 法王も天皇も自前の軍隊を持たなかったが、中世では信仰や伝統が大きな強制力をもっていた。日本では平清盛と源頼朝が天皇に挑み続け、ようやく武士の政権である幕府が樹立された。清盛や頼朝より一層、時代から突出した人間であったフリードリッヒは、合理主義をいち早く体得し、中央集権国家・法治国家の建設に尽力した。しかし、清盛・頼朝が天皇を否定することなど夢想だにしなかった如く、フリードリッヒも「法王は太陽で、皇帝は月」という法王の優越には強く異を唱えたものの、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」、則ち「政教分離」を表明するのが精一杯であった。
 フリードリッヒはキリスト教会を重んじ、その望みを叶えるために十字軍(第六回)を編制しなくてはならなかったし、法王の圧力に対抗するため、絶えず領内の都市を巡回して政権の基盤固めに励んだ。時代の制約の中で、それでも真摯に生を全うしていくその姿勢は、静かな感動を呼び起こす。
 作者は歴史を叙述する時に、何より人物に注目する。人物の生を活写することで、その時代を浮き彫りにする。こうした手法に対し、取り上げられるのは英雄だけで、それでは歴史として不十分だという批判がなされることがある。まことに偏狭な理解と言わねばならない。人物は置かれた環境と絶えず問答をしながら生を紡ぐのであるから、彼や彼女が対峙する時代、具体的には社会や制度や民衆や文化が理解できなければ、その生涯を描くことは不可能である。作者は時代を象徴する存在として、魅力的な人物を選び出す。彼や彼女の軌跡を綿密に跡づけるとは、則ち歴史を丁寧に分析し、叙述するに他ならない。
 鏡を見なければ、自分の顔を知ることはできないし、多くの他人の顔と比べてみて、自分の顔の特徴をよく認識することが可能になる。同様に、人間が主人公である限り、あらゆる時代の、あらゆる地域の歴史を調べることは、すべて現代の私たちを理解するために有用な作業なのである。異なる歴史をより深く解釈する者にしてはじめて現代史に鋭い視線を投げかけ得るのであり、現代社会を深く洞察できる者こそが過去の社会を鮮やかに復元できる。
 この意味で、塩野七生は卓越した歴史家である。中世をテーマとする本書は、現代社会を、何より雄弁に物語るのだ。

 (ほんごう・かずと 東京大学史料編纂所教授)

塩野七生『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(上・下)978-4-10-309637-5,978-4-10-309638-2