書評

2013年8月号掲載

人類と炭素の関わりを辿る楽しさ

――佐藤健太郎『炭素文明論 「元素の王者」が歴史を動かす』(新潮選書)

村上陽一郎

対象書籍名:『炭素文明論 「元素の王者」が歴史を動かす』(新潮選書)
対象著者:佐藤健太郎
対象書籍ISBN:978-4-10-603732-0

 書物のタイトルで、その内容を想像するのは自然なことだ。書肆の編集部と営業部とが、ときにタイトルでもめたりもする。評子の偏見がそうさせたかもしれないが、タイトルを見て、最初に思ったのは、二酸化炭素を中心とした、現在の環境問題を説き起こす文明論だった。読んでみて、全く当てが外れた。この外れは、まことに心地良いものであった。念のために書いておくが、タイトルが内容から遊離しているのではない。むしろ、言われてみれば、まさしく著者の本書のメッセージは、人間の文化・文明を造り上げ、支えてきたのが炭素という元素なのだ、という点にあるからである。
 我々を取り巻く自然環境、さらには我々人間も含めた生命体、そのすべてに炭素が絡んでいる。著者は先ず、炭素化合物の図抜けた多様性を指摘する。実際、あまたある元素の中で、かくも容易に二次元的・三次元的につながり合える元素は炭素を除いて存在しない。つながり方も、直線的(リニア)にも、また例の「亀の子」のように環状にも、さらに継手を出す角度によって、立体的にも、様々な構造と形状が可能なのである。そこから、ほとんど無限の数の化合物が生まれる。すでに自然が多様な化合物を産出してきた。そして、人間もまた、新しい炭素化合物を、用途に合わせて造りだしてきた。その意味では、炭素の王国は、先ずは自然が用意してくれたものだ。同時に、人間は、その自然に、自らの利便性や有効性を求めて、手を加えてきた。まさに「自然に人為が参画する」という文明の定義に相応しい現場である。
 第一章では、食料、とくに穀類とジャガイモが取り上げられる。いわばでんぷんの項目である。農業社会における穀物の重要さは当然であり、米は日本における文化の中心になったが、自然に恵まれなかったヨーロッパでは、ジャガイモが救いの手になった。ケネディ家のアメリカでの成功の引き金にも、きちんと触れられている。
 第二章は砂糖、かつては万能薬のように扱われた砂糖、トマス・アクィナスが、砂糖は「禁欲」(犠牲として、食事を制限する場合)の対象としないでよい、と断定した話などは面白い。「甘い」が「旨い」と同義語であるように、砂糖が自由に手に入る、ということがどれほど意味があったか、サトウキビ栽培の歴史を振り返りながら、糖尿病へと筆者の筆は続く。砂糖を「中毒性の物質」とみなそうという、ユニークな意見も明かされる。砂糖代替物質も炭素化合物であることに変わりはない。ただ「甘味」を感じる作用機序に関しては、現在でもあまり解明が進んでいないという。
 第三章は香辛料、第四章は「うま味」の元とされたグルタミン酸ナトリウムが扱われる。グルタミン酸は、むしろタンパク質と結びつくが、日本では誰にも馴染みの「出し」という概念も、必ずしも普遍的ではないようだ。その点で池田菊苗の業績が重視される所以もはっきりする。
 そこまでは、人間の通常の食生活に関わる炭素化合物の話であった。第二部第五章以下は、ニコチン、カフェインという嗜好物質、痛風の原因である尿酸、そして最大の嗜好品としてのアルコールと人間との関わりが取り上げられる。
 第三部はエネルギーとしての炭素化合物だが、最初に爆薬が登場するのは意表をつかれる。ここでは窒素との結びつきが問題になるが、エネルギーの本命である化石燃料は、現代文明の鍵となった。しかし、その成分は、意外に簡単な炭化水素である。様々な歴史上のエピソードをちりばめながら、人類と炭素化合物との関わりの跡を辿ることの楽しさを、著者は存分に見せてくれる。
 最終章は、過去から現在への時間の流れから言えば、未来が焦点になる。ここでは、現在開発が進行中の、新しい炭素化合物の得失が語られる。発光材料、炭素繊維、ドラッグデザインの下での製薬、「第四の炭素」と言われるフラーレン、カーボン・ナノチューブなどへの期待から、人類は、幾つかの元素を造りだしたように、自然には存在しない炭素化合物を設計、製造する段階にさしかかっていることになる。
 最後に、評子がタイトルを見て早とちりをした、二酸化炭素の問題が登場する。そして、解決策の一つとして、人工光合成の可能性に言及される。
 広範な知識集約と先見性を備えた好著と言えよう。

 (むらかみ・よういちろう 科学史家)

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