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書評・エッセイ

仮面を被り疲れた私たちのトランキライザー

――西村賢太『歪んだ忌日』

江上剛

 私はどういうわけか西村賢太氏と縁がある。最初は、氏が芥川賞を受賞された時だ。私は文藝春秋の依頼で氏の『苦役列車』を「自分だけに流れた時間を描いている。それが結果として時代状況を映し出し、疲れている私たちを癒してくれる」と批評した。その後は海外取材に行く際に『暗渠の宿』(新潮文庫)『どうで死ぬ身の一踊り』(講談社文庫、新潮文庫)などを持参して読んだ。ベッドに寝転がりながら読んでいると不思議と海外にいる孤独が癒されたものだ。そしてなんと氏と面識を得たのだ。収録作「歪んだ忌日」の中で、氏は半蔵門にあるローカルテレビ局の番組に出演していると書いているが、私もたまたまその番組にゲストで呼ばれて氏と隣り合わせになった。氏は、同作の中で自分のことを「外ヅラのいい彼は、人前では福々しいまでのにこやかな表情を作っている」と書いている。実際、初対面の私に極めて愛想がいい。私はすっかり気を許してしまい「男の隠れ家は?」という話題の際、「西村さんの隠れ家は?」と予定外の質問をしてしまった。すると氏は、はにかみながら「大塚辺り」と答えたのだ。スタジオ中、大笑い。大塚辺りの風俗店を意味していることが明らかだったからだ。いい人だなと思った。ところが同作の「外ヅラ」の続きに「実際、心中には激しい苛立ちにも似た、甚だ不穏な感情が渦巻いてもいた」と書いてあるのを読んで恐ろしくなった。あの時、笑顔の背後で怒りが渦巻いていたのか。そう思うと今回の書評依頼は、氏の私に対する狡猾な復讐なのかと不安になった。(あの時は、本当に失礼しました。ごめんなさい)
 何はともあれ縁あって今回の新作の書評をさせていただくが、これは氏の過去の作品を読んでいなくても面白い。「形影相弔」は芥川賞受賞後の氏の苦悩が、氏が敬愛してやまない作家の自筆原稿を落札するかどうかの逡巡を通して描かれていて胸を突く。原稿の相場でそれを表すところが氏の真骨頂だ。「青痣」に登場する秋恵は、「どうで死ぬ身の一踊り」に登場する「女」だ。彼女は名前がもらえたんだと読者としては嬉しい。氏は自分を大切にしてくれる女性を軽蔑する傾向がある。そのため氏を騙すソープ嬢には名前を与えても彼女には名前を与えていなかった。氏は、この「青痣」で彼女との暮らしを肯定的に描いている。「膣の復讐」。こんなタイトルは氏だから許される。秋恵と別れた氏が、買淫相手の女の秘所の悪臭に吐き気を催し、秋恵への愛を確認するところが哀れで愉快だ。「感傷凌轢」では長く別れていた(それも氏の家庭内暴力が原因)母親から手紙と写真が送られてきたことから起こる母親への心の揺らぎが切ない。「跼蹐の門」は氏が十五歳の頃、将来に対して悶々とする姿が真っ直ぐに描かれている。西村版ヰタ・セクスアリスか。「歪んだ忌日」は有名になり自分を見失いそうになるが、なんとか原点回帰しようとする毅然とした姿勢が潔い。
 どうして氏の小説を読むのか。氏の表現を借りると「甚だ不様な流派の私小説」(「感傷凌轢」より)なのに、だ。氏は、芥川賞を受賞した際「自分よりダメな奴がいると思って安心して欲しい」という意味のことを言ったが、氏の小説はそんな安心のために読むのか。そうではない。むしろ痛快だからだ。私は元銀行員だったせいで経済やコンプライアンス(法令順守)に詳しいなどと思われている。しかし、私は仮面を被っている。金も欲しい、女も抱きたい、文学賞も心底欲しい、嫉妬深いし、嘘つきだ。私と同じようにたいていの人は、世間を上手く渡っていくために仮面を被っている。そんな私が氏の小説を読むと、自分の仮面がベリベリと剥がされる快感を覚える。本当の自分が剥きだしになる。それが痛快だ。(私だって女房を殴りたいと思ったことがあるんです。でも絶対に殴れません)今回、この拙文を書くに当たって小説の効用ということを真剣に考えた。氏の小説は、仮面を被り疲れ、それを剥がすことができない私たちのトランキライザーなのだ。氏の小説を読んでいる一時は、本来の自分になることができる。それにしても西村さんは、いいなぁ。羨ましい。今日も大塚辺りをうろうろして風俗店を覗いているんだろうな。

 (えがみ・ごう 作家)

西村賢太『歪んだ忌日』978-4-10-303235-9