書評

2013年6月号掲載

神さまからの宝もの

――ジョンソン祥子『ことばはいらない ~Maru in Michigan~』

小澤征良

対象書籍名:『ことばはいらない ~Maru in Michigan~』
対象著者:ジョンソン祥子
対象書籍ISBN:978-4-10-334111-6

 オオカミは家族意識が強く、自分のパック(群れ)への忠誠心も強い。番いの相手とは一生添い遂げ、子どもを育てる。パック内の子は、自分の子でなくても命がけで守り、大切に育てる。オオカミは嘘をつかないし(つけないし)仲間を騙したり欺いたりもしない。(ちなみにある研究によるとサルは仲間を騙したり、陰謀を企てたり出来るそうだ)オオカミの血を濃く受け継ぐイヌもまた、その性質はとても似ていると思う。飼い主を――そのヒトが何の職業についていても、お金持ちでもそうでなくても、女でも男でも――あの忠実でまっすぐな瞳で、何の見返りも求めずひたすら愛する。仕事を終えてあなたが帰宅すれば、イヌは何日も会っていなかったかのように熱狂的に出迎え、嬉しさのあまりジャンプしたり、ありったけの愛情を込めてあなたの顔を舐めたりするだろう。私のイヌは、たとえ夜明けに起こしても、イヤな顔一つしないどころか途端に上機嫌で温かなキスの雨を降らせてくる。(意味も無く急に起こされたりしたら、私なら恐らく不機嫌になっちゃうのに!)
 イヌはあなたに嘘もつかないし、「この人に愛想よくしたらひょっとして得かも」なんていう、ニンゲンにありがちな損得計算で生きてはいない。(もちろん、美味しいビスケットなら、いつでも大歓迎だろうけれど!)
 イヌと暮らせば暮らすほど、イヌの魂は人間のそれよりも高貴じゃないかと考えるようになった。というか、今ではそう、確信している。私たちが生きる上で、イヌから学ぶことってあまりに多いものだから。
 そもそもの話、Dogを逆さまから読めば、God――神さまに一番近い動物だからじゃないかな――そう、おもうのだ。
 本書には、そんなイヌのマルと著者の息子の一茶くん、そして、カメラのこちら側でシャッターを押す著者の、ミシガン在住のパックに流れるやわらかな時間のかけらが、ぎゅっとつまっている。一茶くんを見つめるマルの目をみれば、どんなにマルが一茶くんを愛しているか一目瞭然だ。もしも一茶くんに何らかの危険が迫ったのなら、マルは必ず一茶くんを守るだろう。マルは、彼のパックの大切な子どもを守り、育てているのだ。イヌとともに生きる幸運を得て、その特別さやすばらしさを体感出来る人は、ほんとうに幸せだ。それがある人生と無い人生を比べたならば、大きな宝石がまぶしく輝く指輪と、石を失くし輝きを欠いた指輪ぐらいの差があるだろう。(もちろん、猫も、あるいは人と愛を共有している他の動物も、きっと同じなのだろうけど!)いま、イヌと暮らしていない人も、本書をみれば、ほっこり温かな幸せな気もちになれることは間違いない。私はこの本を、旅先で拝見した。海を越えた旅先にイヌを連れてくるわけにいかず、すっかりイヌシックになっていた時だった。本書に見入りながら、イヌとの時間にしか味わえない豊かな感覚にしばし浸った。早く家にかえって、毎日今か今かと私を待っている、四つ足の家族を抱きしめたくなった。
 大事な存在がじっとあなたを待っていると思うだけで、途端に、世界はとくべつな場所になる。
 赤ん坊のときに、すでにそんな相手を持っている一茶くんは、なんて幸せな男の子だろう。きっといまマルが一茶くんに教えていることは、一茶くんの一生にすばらしく優しくて、大きな影響を及ぼすに違いない。それって、言葉にしがたい、尊い、神さまからの宝ものだ。もちろん、マルは著者にも同じ宝ものを、毎日ボトムレスコーヒーみたいに注いでいることを、私は知っている。それがページの隅々から溢れているからだ。だからこそ、本のこちら側にいる一読者の私も、こんな幸せな気もちになれるのだろう。

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いつもいっしょの一茶くんとマル(本書より)。

 (おざわ・せいら 作家)

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