対談・鼎談

2013年6月号掲載

黒川創『暗殺者たち』刊行記念対談

100%の事実から生まれた小説

四方田犬彦 × 黒川創

サンクトペテルブルクという街/夏目漱石の幻の寄稿発見
暗殺の連鎖/地下茎のようにつながる仕事

対象書籍名:『暗殺者たち』
対象著者:黒川創
対象書籍ISBN:978-4-10-444406-9

日本人作家がロシア人学生たちを前に語りだす、20世紀初頭の「暗殺者」たちの姿。埋もれた漱石の寄稿文を発端に、動乱の近代史が、いまそこに生きている人の動きとしていきいきと浮かびあがる。事実を素材として描きだされた小説ならではの達成をめぐって――。

サンクトペテルブルクという街

四方田 ちょっと長くなりますが、感想を五つお話ししていいですか。

黒川 はい、お願いします。

四方田 まず個人的なことですが、『暗殺者たち』で描かれている場所は、語り手の作家が大学生を前に講演をするサンクトペテルブルクも、伊藤博文が暗殺されたハルビンも、「ソウルの春」にむかっていく七〇年代のソウルも、大逆事件の大石誠之助の故郷・新宮も、みんな行ったことのある土地で、ぼく自身の関心とも重なり、非常に親しみを感じました。

 第二にこの小説は、手塚治虫の『ブラック・ジャック』にヒゲオヤジやリボンの騎士が出てくるように、黒川ワールドの「スター・システム」だなということ(笑)。かつて『国境』などの批評的な本で、黒川さんが丁寧にスケッチをしてきた人物が一堂に会している。大石誠之助や初の日露辞典を編纂した漂流民ゴンザ、夏目漱石もそうですね。

 第三に、サンクトペテルブルクという文学的トポスのこと。ピョートル大帝が新たな首都として命名した二年後の一七〇五年、ここに世界で初めて日本語の教育施設ができた。当時のロシアはそのようにして日本とのコミュニケーションを探っていたんですね。今度の小説にも出てきますが、ぼくが初めて知ったのもやはり黒川さんの『国境』ででした。

 日本文学のなかでは、二葉亭四迷から、『罪と罰』を訳した内田魯庵、ずっと下って井伏鱒二、後藤明生、そういう人たちがサンクトペテルブルクについて書き、あるいは暮らしてきた。日本語と日本文学において、この場所自体が文学的なトポスであるということをきちんと確認したうえで、その最新のものをフィクションのかたちで書き上げられたことには、大きな意味があると思います。

 黒川さんは、日本語は日本人だけのものではないという前提で、日本植民地下の満洲、台湾、朝鮮などで書かれた日本語文学のアンソロジーを編まれたことがありますね。それが『「外地」の日本語文学選』全三巻で、昨年は秋原勝二さんの作品集『夜の話――百歳の作家、満洲日本語文学を書きついで』を編集された。

 この小説の語り手である作家は、サンクトペテルブルク大学で日本語を学習する大学生に向けて、日本語で「ドストエフスキーと大逆事件」という講演をする。僕もこの作家のように、韓国からテルアビブまで、さまざまな場所で教師をやってきました。外国人に向かって難しい言葉を使わずに、日本の自明性を離れて日本文化について語る、『暗殺者たち』にはそういう話者を置いたわけですね。

黒川 そうです。ぼくなりの新たな言文一致を、という意識がありました。外国の人に語るのも、日本の若い世代にむけて語るのでも、自明性なしで、自分の話し言葉で一から語れなければ、伝わるわけがないんだからと。

夏目漱石の幻の寄稿発見

四方田 四番目は、小説の最初のほうに夏目漱石の「韓満所感」というテキストがおかれていること。「満洲日日新聞」に寄稿されたものです。「新潮」での初出時に、漱石の新発見原稿だと騒がれましたが、漱石という古典的な作家の、しかも全集にも載っていない、ハイクラスの言語を組み込むことによって、小説だとか批評だとか、あるいは講演録だとかいう既定のジャンルが揺らいでくる。

『暗殺者たち』は小説として書かれていますが、かなり正統的な日本文学史の一章にもなりうるし、漱石の満洲、朝鮮に対する考え方についての新しい補注というアカデミズム的意味もある。

 漱石は伊藤博文暗殺の十日ほど前に、満洲・朝鮮への旅行から帰国したばかりで、事件から十日あとにその寄稿が「満洲日日新聞」に載った。このときの旅は、学生時代の親友である満鉄総裁の中村是公に誘われてのもので、ハルビンでも一泊している。しかも狙撃された伊藤を抱きとめたのが中村是公だった。でも漱石はこの記事では、あえてはかばかしいことを書かないという態度をとっていますね。しかし、そのすぐあとに『門』を書いて、伊藤さんみたいなのはハルビンに行って殺されたほうがいいと主人公に言わせている。

黒川 ええ。伊藤博文暗殺という事実に対して、即座にジャーナリスティックな反応を示す態度を、漱石は取らなかった。彼は、振り切れるようなものではなくて、ゆっくり動いていくもの、そういうエモーショナルなものを小説でも大事にした。彼の人柄は面白いと思いますね。不透明なものを含めて、そこをまっすぐ見ようとする。

四方田 漱石が静かにこの本全体を照らしだしているという感じがします。みんなが暗殺とか陰謀とかいって駆けずりまわったり身を隠したりしているとき、漱石だけは動かず、悲しげな目でじっと見ている。この小説は漱石のそういう静かな視線で始まって、最後にまた、大逆事件で処刑された管野須賀子が静かな海をじっと見ている姿がある。始まりと終わりが拮抗していますね。

暗殺の連鎖

四方田 五番目、ここで扱われている暗殺とかテロルというテーマは、いま非常にアクチュアルな問題です。テロリズムとはなんなのか。そこで黒川さんの出している視点は、どちらかが善でどちらかが悪というものではない。安重根による伊藤博文の暗殺も、伊藤自身が維新前の若いとき暗殺者だったということから考える。暗殺した側が暗殺される側になりうる。その連鎖を歴史的に見つめる視角を提示していると思います。

黒川 そこから考えれば、伊藤博文という人物のなかには、安重根を理解できるものがあったはずなんです。

四方田 理解したでしょうか?

黒川 明治政府内では、伊藤は朝鮮の植民地化について、相当に慎重な立場でした。しかし、結局は韓国統監までやってるんだから、いつか自分は殺されてもおかしくないという意識はあったと思う。幕末の青年時代には、自分自身が、これでは外国から侵略されると危機感を抱いて、テロリストになったり、英国公使館の焼き討ちまでしたんですから。

四方田 当時の日本人も、安重根のことを単なる不逞な輩とは見ていない。武田信玄が上杉謙信を見るような感じで、敵ながらあっぱれという感覚ですよね。

黒川 伊藤博文が暗殺されたとき、田中清次郎という満鉄の理事がいっしょにいたんです。この人は、のちに、これまで出会った人で誰が一番偉いと思いますか、と訊かれて、「安重根だ」と即答しています。そして、「残念ながら」と付け加えた。こういうのは、漱石も含めて、当時の日本人が普通に持っていた公正さの感覚だと思う。そして、「残念ながら」、これは、いまある日本への批評ですよね。

地下茎のようにつながる仕事

四方田 『暗殺者たち』で描かれた百年前の時代、外国で発表されたものが非常に早く伝わり、翻訳されていたことに驚かされます。エマ・ゴールドマンがドストエフスキーになりすまして書いたような小説を大石誠之助と幸徳秋水がそれぞれ同時期に読んで訳している。そして大逆事件に際しては、エマ・ゴールドマンが抗議をする。いまはインターネットがあるけれど、むしろ、そういうコミュニケーションは見られなくなっていますね。

黒川 これはわたしの問題だ、という心当たりが見失われやすい世界になっていると思います。ドストエフスキーは、政治犯として牢獄につながれた。エマ・ゴールドマンも、大石誠之助らも、これは自分のことだ、と感じて、その物語に入りこんでいった。

四方田 二年前ロンドンにいったとき、イーストエンドのある本屋に寄ってみました。店の外に百人の肖像がモザイクで描かれている。マルクスとかホー・チミンとか、百人のうち半分くらいはわかる。なかに鬚をはやしたアジア人のおじさんがいたので、「魯迅ですか」ときいたら、「幸徳秋水です」と。大恥をかきました(笑)。ハンナ・アレントなどといっしょに幸徳秋水が並んでいる。知らない人がいたらどんな人物か説明しよう、その人の本があることも教えよう、と待ち構えているような本屋なんです。黒川さんのこの小説も、そんなふうに、半ば忘れ去られている人間を掘り起こす役目を果たしていますね。

黒川 『いつか、この世界で起こっていたこと』に収めた「チェーホフの学校」という短篇は、サンクトペテルブルクに「ドストエフスキーと大逆事件」という講義をしにいく作家の話なんです。でも、その講義の内容は書かなかった。今度の『暗殺者たち』は、そこでの講義だけから、できています(笑)。

 語られている個々の事実は、すべて資料的典拠を示せるファクトです。でも、一〇〇%果汁のジュースみたいに、ここから大きな一つのフィクションをつくりだすこともできる。そう考えました。

四方田 黒川さんの仕事は『暗殺者たち』を含めて、リゾームの本だなと思いますね。蓮根のようにあちこちに茎が伸びている。さっきあげた五つの感想だけでは、太い茎を押さえたにすぎない。韓国の西大門拘置所とか、ロシアの日本学者のエリセーエフとか、ひげ根がいくらでもある。そのひげ根がこれからどんなふうに太くなっていくのか楽しみです。

(よもた・いぬひこ 映像論・比較文学/くろかわ・そう 作家)

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