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書評・エッセイ

『アニバーサリー』刊行記念特集

終わらない日常に足を踏み出す

――窪美澄『アニバーサリー』

小島慶子

 2011年3月、私はセシウム入りのみそ汁を作った。水道水に含まれる放射性物質はごく微量なので長期にわたって摂取しないかぎり問題はないと報じられていたが、煮干しで出汁をとりながら、この中にセシウムが入っているのだなとじっと鍋を見た。生きるためには、食べなくてはならなかった。そうするしかないという状況の中で、生きるために料理をするのは初めてのことだった。
 この物語には、3世代の女たちが登場する。75歳の現役水泳コーチの晶子、人気料理研究家の真希、その娘の妊婦・真菜。真菜は晶子が主宰するマタニティスイミング教室の生徒だ。
 戦争を生き延びた晶子にとって、人生は何もない所からのスタートだった。手に入れる喜びを存分に味わった晶子、もっともっとと渇きの止まない真希、いつかは失われるだろうと虚無的に生きる真菜。日本を豊かにした世代と、その豊かさを享受した世代、そして次の幸福の物語を見失った世代、それぞれの渇きが描かれている。
 3人の女は皆、淋しさを抱えている。晶子の夫は激務に追われ、家庭を顧みることはなかった。真希の夫は、人一倍承認願望の強い妻の苛立ちに気がつかない。真菜は母親の愛情を得られず、お腹の子どもの父親に見捨てられた。
 晶子は生きがいを求めてマタニティスイミングのコーチになり、真希はテレビで有名人になり、真菜は親に隠れて男と寝た。晶子は生徒たちに健康的な料理を振る舞う。真希は瓜二つの娘・真菜と雑誌の写真に収まり、しゃれた料理を披露して家族愛を語る。密閉容器に詰められたそんな母の手料理を一人きりの食卓で食べて育った真菜は、コンビニ弁当を嬉々として口にする。
 献身的な晶子と、自己中心的な真希と、自暴自棄の真菜は全く違う女たちのようだが、3人とも得られなかった愛の埋め合わせを探していることに変わりはない。
 地震の直後、晶子は臨月の真菜を訪ねる。シングルマザーを放っておけないという生来のお節介から、血縁でもないのに、震災と原発事故の日々を一緒に生きることになった二人。それぞれの人生と、震災と原発事故という大きな出来事とが絡み合って、女たちの異なる世界観が巧みに描き出される。 幼い頃に戦争を経験した晶子にとっての震災は、引き受けるべき現実だった。起きたことに対応して食べていくしかない。けれど真菜にとっては、世界は不変のものだった。家族に居場所を見出せなかった真菜は、その息苦しい世界が終わってくれるのを待った。1999年になっても世界が終わらなかったとき、延々と続く日常を前に真菜は行き場を失った。
 311は真菜にとってついに訪れた「世界の終わり」だったのだが、直後に真菜は娘を産む。安全な世界という幻想が全て失われたとき、娘はこれから人生を始めなくてはならない。真菜は戦(おのの)く。終わりゆく世界を生きて行かなくてはならないということに。
 人を蝕むものはいくつもある。まき散らされた毒と同じくらい恐ろしいのは、孤独だ。見せかけの家庭に育った真菜の孤独は、晶子との暮らしの中で次第に和らいでいく。壊れてしまった世界と、すでに壊れていた世界とのどちらかしかなくても、どの道生きて行かなければならない。不完全な見せかけと、不完全な生身のどちらを生きるか。自ら一つの世界を終わらせることで、終わらない日常に足を踏み出す真菜の姿は清々しい。
 310までの世界に戻りたいと夢想したことは誰しもあるだろう。世界は後戻りもしないし、終わることもない。その重苦しさに疲れた震災から2年後の春に、真菜の決断は一筋の光を見せてくれた。

 (こじま・けいこ タレント、エッセイスト)

窪美澄『アニバーサリー』978-4-10-325923-7