書評

2013年3月号掲載

主役はあくまで、二つの孤独

――吉野万理子『連れ猫』

北上次郎

対象書籍名:『連れ猫』
対象著者:吉野万理子
対象書籍ISBN:978-4-10-300634-3

 最初にお断りしておくが、私、断然、犬派である。つい最近も、心も体も傷ついたドーベルマンが徐々に人間になついていく小説を読みながら目頭を熱くしてしまったばかりである。あの凶暴そうなドーベルマンが、傷ついた女性を慰めるようにその体にそっと頭を押しつけるなんて、おお、こんな光景を読んだらもうだめだ。
 このように、犬が出てくる小説を読むときは最初から感情が昂ってしまうので、もう大変なのである。その点、猫の出てくる小説を読むときは思い入れがないので、冷静に読むことが出来る。
 だから本書も、最初はふーんと思って読み始めた。まず、亜沙美という女性がいる。彼女が猫を二匹飼う男、フリーのデザイナー有也と同棲するところから物語は始まっていく。その飼い猫の名前は、ソリチュードとロンリネス。そのことを聞いた亜沙美の友人は、こう尋ねる。

「ロンリネスって翻訳すると『孤独』じゃない? ソリチュードは?」
「それも『孤独』」
「なんかその彼、ちょっと変わってるね」

 孤独には二種類あって、ソリチュードはいい孤独、ロンリネスは悪い孤独だと有也は言うのである。では、その「いい孤独」と、「悪い孤独」はどう違うのか。ひとりぼっちで寂しい寂しいって思うのが「悪い孤独」、寂しくてもひとりですっくと立ってるのが「いい孤独」。有也はそう言うのだ。物語の後半に登場する亜沙美の母、志穂子の言葉をここに重ねたいのだが、引用ばかりになりかねないのでぐっと我慢。ようするにこれが本書のモチーフだ。
 物語の展開がなかなかにうまい。有也が暴力を振るうDV男であることがすぐに判明し、亜沙美は同棲解消を決意するというのが次の展開。こうなると、この二人の間で揉めていくのかなと思うところだが、全然揉めないからおやおや。この先は猫の視点になるが(最後にまた亜沙美の視点に戻るが、それまでは二匹の猫の視点で語られていく)、どちらか一匹を連れていってくれと有也に言われ、亜沙美は三毛猫のロンリネスを選ぶ。この先、ソリチュードは有也のもとに残るので、有也の新生活も語られるが、そういうふうに、亜沙美と有也の生活を、猫の視点で交互に描いていくのかと思うと、そうでもない。
 物語はどんどんズレていくのだ。この展開がいい。亜沙美は婚活パーティーで知り合った男と結婚することになるのだが、相手の男は新居には猫を連れてこないでほしいと要求。仕方なく亜沙美は、北海道で一人暮らしをしている母親のところへロンリネスを送ることにする。つまりここから先は、老婆との生活が語られることになり、亜沙美の結婚生活は物語の表面に出てこない。
 一方のソリチュードは家出してしまうから、こちらでも有也の生活がその後どうなったかは描かれない。つまり、亜沙美と有也はこの物語の主役ではないのだ。主役はあくまでもロンリネスとソリチュードであり、この先はあのモチーフを追求して物語はどんどん進んでいくことになる。はたしてどうなっていくかは本書を読まれたい。ストーリーを紹介できるのはここまでだ。
 素晴らしいのは、猫と猫が遠く離れていても会話しているということだ。それは猫だけの特権だというのだが、風になって飛んでいくラストを含めて、とてもリアルに描かれる。本当にそうなのかも。
 まだ物語が一部、ぎくしゃくしている点は指摘しておかなければならない。残念ながらそれは認めなければならないだろう。しかし本書は、吉野万理子が大きく変貌していく、そのきっかけとなる作品だ。おそらくは、ターニング・ポイントとなる作品だ。ここからこの作家は、もっともっと大きくなる。私はそう信じる。

 (きたがみ・じろう 文芸評論家)

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