インタビュー

2013年3月号掲載

刊行記念インタビュー

高杉晋作という春風

『春風伝(しゅんぷうでん)』

葉室麟

詩と女を愛し、敵をも魅了した英傑の奇策に富んだ嵐の生涯――。自身の集大成と位置づける歴史長編を書き終え、作家は何を語るのか。

対象書籍名:『春風伝』
対象著者:葉室麟
対象書籍ISBN:978-4-10-127372-3

高杉晋作と高杉春風のあいだ

『春風伝』は今の私の集大成となる作品だと思っています。連載を終えた時点では自分の思う通りに書けただろうかと不安でしたが、本にする段階で余計な部分を削ぎ落として納得のいく形になりました。それが世の中に受け入れられるかどうかは別問題で、そうじゃなかったら、ちょっとカッコ悪いんですけど(笑)。

 これまで『乾山晩愁』を始めとする芸術を扱った小説、『銀漢の賦』のような武家小説、『風の軍師 黒田官兵衛』のような歴史小説と、三つの系統のものを書いてきて、これからもそれぞれ書いていくつもりですが、晋作は私の書きたい小説の全ての要素がひとつになった人物。実社会での行動家でありながら芸術的な詩人の感性を持ち、生き方の中にすごく情感がある。一番描きたいと思っていた人で、晋作には自分の描く小説の理想像があります。

「春風(はるかぜ)」とは高杉晋作の諱(いみな)、つまり本名ですね。一般にあまり知られていないのは、稲妻のように鋭利な人物像と春の風の穏やかなイメージが一致しないからでしょう。でも春の嵐というのは驚くほど荒々しいし、奔馬の気性と細やかな情感を併せ持った晋作の本質もこめられているし、春の訪れを告げる風として生きた晋作の生涯に、実はふさわしい名前なんじゃないかなと思いますね。小説の中でも晋作の春の嵐のような生き方を暗示する描き方をしました。

 彼は幕末の革命の英雄と言われ、一見、長州藩尊攘派の中心メンバーみたいに見えるけれど、実はけっこう孤立しているんです。リアル・ポリティックが分っているから、イデオロギーの熱狂に浮かされて自分を見失うということがない。私は全共闘より少し下の世代ですが、その余熱の中で過ごしましたから、周囲の熱狂に飲まれず己を貫くことがどんなに大変かよく分るし、揺るがない晋作に対して憧れがあります。しかも自分のなすべきことを終えたところでこの世を去る「夭折の美学」もあって、ある意味、男としての美しさを兼ね備えた人物じゃないかな。

 じゃあ、晋作がなぜ孤立を恐れずにリアルな思考を貫くことができたかといえば、彼が幕府の上海視察団に随行して、海外を自分の目で見たことが大きいですよね。『春風伝』では、この上海でのドラマに多くのページを割いています。

晋作はなぜ女たちに愛されたか

 当時の中国は太平天国の乱のまっただ中。清朝はこれを制圧するのに欧米列強を頼ったので、上海では一般市民による攘夷戦、すなわち晋作の師である吉田松陰の唱えた「草莽崛起(そうもうくっき)」が展開されている。この戦いを目の当たりにした晋作は、これがやがて訪れる日本の未来だと予感すると同時に、中国の轍を踏まずに日本を守るためにはどうしたらいいかを懸命に考えます。晋作の「国防」に対する思考はこの実体験に支えられているから観念的にならないんですね。国内だけしか知らない人はどうしても「とりあえず戦争をすれば大義は果たされる」と思うけれど、晋作は「勝算のない戦い、得るものがない戦いには意味がない」と徹底して現実的に考える。そこは観念に殉じることができた松陰と一番違うところですね。世の中が動く時、最初の衝撃は思想家がもたらすけれど、実際に変革をもたらすのはリアルな行動家。二人はその役割を見事に果たした師弟であったろうと思います。

 この上海で晋作が出会うのが太平天国を支持する女闘士・美玲(メイリン)で、これは当時の中国の資料に、女闘士がいたという記述を見つけたことから生まれた人物です。太平天国の女性たちは清朝に抵抗して纏足をしないので「大脚(おおあし)の蛮婆(やばんおんな)」と呼ばれたんですが、そんな蔑視的な呼ばれ方をしても解放の戦いに挑むんだという人たちがいた。そうであれば、外国船に火を放ち、敵軍の将を狙撃する美玲のような闘士がきっといただろうし、彼女と晋作が出会っていてもおかしくはないだろうと。若い男性が女性活動家に惹かれて活動の世界に入っていくというのは、全共闘の頃を見ても大変ありがちなパターンです(笑)。戦いの季節の中で若者がこういう形で影響を受けてもいいじゃないかと思ったんですね。

『春風伝』には美玲以外にも彼を取り巻く女性たちが登場しますが、彼女たちが晋作を愛する理由として、世の中を変革していく男に自分の夢や人生を託す感覚があったように思います。それが制約の多い江戸時代の女性たちの戦い方であっただろうと。妻の雅(まさ)は病身の夫を心配して、四境戦争の最前線で指揮を執る晋作の元まで出かけていく。武家の妻が夫の職場に出かけるなんて、ほぼあり得ない時代にです。愛人のうのも幕府の大罪人として追われる晋作の逃避行に付き従うという危険を冒す。男女の愛もあるけれど、底には同志的な愛が流れているのではないか。晋作もそれを理解していたから、人生の最後に女人に報いる気持ちで幽閉された野村望東尼の救出に乗り出すのではないか。私の思い入れですが、そんな気がしています。

ジェットコースター人生に翻弄されて

 ストーリーの話に戻ると、上海の場面は資料を読むのも書くのも楽しかったんですが、晋作が日本に帰ってきてからは書くのにちょっと苦労しましたね。長州藩が朝敵となり、欧米列強と幕府軍を敵に回し、藩内でも俗論派と正義派の抗争が起こる。藩を取り巻く情勢が刻々変化していく中で、晋作の行動ときたらジェットコースター並みの激しさで……。カンや閃きで動いているから行動の理由付けがよく分らないし、小説的リアリティを確保しにくい。普通の人なら二、三年かかる話が数ヶ月単位で動くし、この間まで一生懸命言ってたことを急に翻すし、かと思えばすぐに脱藩するし(笑)。もうちょっと我慢したら? と思うんですが、それでも結果オーライなのがこの人の凄いところですよね。

 そもそもエエところの子ですから、「決めるのは自分だ」という良い意味での坊ちゃん思考があって、自分の存在が問われることを恐れないんです。だから京に出てくる草莽の活動家を「功名勤皇」と呼んで、過激なことを言い散らして時流に乗ろうとする人たちを軽蔑する。晋作自身はそんなパフォーマンスをしなくても自分の言うことを殿様が聞いてくれる立場なので、変に焦らない強さがあるんです。ただ、同じような立場の人がみんな晋作のように動いたかといえば違うわけで。自分は何が許されているのか、何ができるのか、そして他の人が同じことをしようとしても無理だということが本能的に分かっているのは才能ですよね。しかも、功山寺決起でも成功するとは限らない状況で、結局成功するわけですね。そういう意味では、やはり天に選ばれた人であり、使命を果たして天に帰っていったというふうに思えます。

 そんな晋作とは逆に、奇兵隊の赤禰武人(あかねたけひと)のように脱藩して上方に行くものの、結局すべてが裏目裏目に出て最終的には裏切り者として処刑され、死後もずっと悪く言われるような人間もいる。本当はそんなに悪い人じゃなかっただろうと思うんですが、それがその人の持つ運命なんでしょう。また私の住む筑前に目をやると、薩長同盟のきっかけを作った福岡藩の月形洗蔵や久留米出身で国学的尊攘派をリードした真木和泉など、命をかけてやったことが評価されず、歴史の流れに埋もれていった人たちがたくさんいる。正直、私のような筑前の人間は、その中で成功を手にした晋作に対して多少複雑な思いがあります。本当はみんな高杉晋作になりたいんです。でも、そうなれなかった精神や魂がある。そのことは心に留めておかねばと思います。

九州=東アジア文化圏から見る明治維新

 よく地方の視点から見た歴史を書く作家だと言われますが、先日、私の文庫に解説を寄せてくださった湯川豊さんが「(葉室氏は)ローカリティに腰をすえることで、逆に世界史的な視野を得たのである」と書いて下さって、それを読んで思い当ったのは、私が上海での晋作を重視するのは、九州の人間だからかもしれないということです。山口の人間が上海に行くという道筋が、東アジア文化圏に身を置く私にはとても自然に感じられた。知らず知らずのうちに晋作をアジアの中で捉えていたんですね。

 明治以降の征韓論にしても、あれは最初、長州の桂小五郎が言うんですが、なぜその発想が出てくるかといえば、長州は密貿易をやっていて朝鮮半島との関わりが密だから。薩摩も沖縄を通じて中国とつながっていたわけで、それが良かったか悪かったかは別にして、生活感覚の中にアジアがあったからこそ薩長が次の時代を作り得たということは言えると思います。しかし、その意識の差が東日本との距離を生んで、結果的に会津の悲劇が生まれる。大河ドラマで新島八重が苦しい目を見るのは、その意識の違いに発してることなんですね。そう思うと「日本の中の自分」という座標軸だけでなく、「東アジア文化圏の中での自分」という座標軸をも強く意識していたであろう薩摩と長州が明治維新という革命を率いた意味を、いま一度考えてみる必要があるんじゃないかという気がしています。

 (はむろ・りん 作家)

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