TOP > 波 -E magazine Nami- > 書評・エッセイ

波

書評・エッセイ

『双頭の船』刊行記念特集

小さな船はなぜ育ったか

――池澤夏樹『双頭の船』

池澤夏樹

img_201303_05_1.jpgPhotograph by Natsuki Ikezawa

 鏡を使わないかぎり自分の顔は見えない。指で触れば目鼻の位置くらいはわかるが、それ以上は無理だ。
 同じように、自分が書いた作品のことは自分ではなかなかわからない。ましてこの『双頭の船』のように向こうから勝手にやってきた話の場合は尚更。ここで鏡の役割を果たすのは今からの読者の反応だろうか。
 長篇を書くには策略が要るが、短篇はきっかけ一つでも始まる。二〇一一年の夏だったか、当時住んでいた札幌のマンションに外出から戻ってエレベーターに乗ったらすごい臭いがした。芳香というよりは悪臭。しかし薬品などの化学系のものではなく生物由来で、しかし腐敗臭ではない。けだものだ、と思った。
 それが何かを調べることはしないで、そこから話を作った。乗っていたのはクマだとしよう。ヒグマではなく本州のツキノワグマ。これを本来の住処に返してやらなければならないというので男女二人が一働きする。この短篇にぼくは「ベアマン」という表題をつけた。
 それはそれで終わった。
 翌年の四月、ぼくはさる長篇のプランのために瀬戸内海に取材に行って、そこで久しぶりに懐かしい船に出会った。前後対称の、つまり舳先と艫の区別がない「双頭の船」。ごく短距離のフェリーで使われる船形で、車は前進で乗って前進で下りられるし、船は狭い港の中で方向転換する必要がない。動く橋みたいなものだ。二十年くらい前に瀬戸内を旅行した時に見かけて、なんと合理的なと感心したことを思い出した。
 それを見ているうちに取材目的の長篇とはまるで別の話がむくむくと頭をもたげた。この小さな船が津波で壊された三陸海岸まで行って人助けをしようと思い立ったらどうだろう? 双頭のフェリーだが、車両甲板の上にもう一層キャビンとブリッジがあるくらいの大きさならば?
 とりあえず主人公に海津知洋(ともひろ)という青年を用意した。あとはその場その場で人材を調達してと思ったが、実際には途中で変な連中がどんどんなだれ込んできてずいぶん賑やかなことになった。最後にはベアマンも帰ってきた。
 作家にはいろいろ書きかたの流儀がある。ぼくは普通は結末まである程度のプランを作ってから書き始める。誰だったかアメリカの作家が「長篇を書き始める時は野原に立って石を一つ遠くまで投げるんだ」と言っていた。そこを結末と想定し、そちらに向かって話を進める。投げた石を見つけることもあるし見つからないこともあるが、ともかく方角と距離は一応決めておく。
 それに対して、「最初にプランなんか作るのは素人だ」と言ったのは石川淳。彼は『荒魂』のような長篇を書く時でも机上に登場人物の名を書いたメモしか置かなかったとか。

『双頭の船』が勝手に膨らんだについては思い当たる節がある。二〇一一年の四月以来、ぼくは何度となく三陸地方に足を運んだ。最初は老いた叔母の救出で、次は新聞のための取材、それからボランティアの片棒をかつぎ、あちこちに知人が増えて行き来が多くなった。一度などは八戸からいわきまで数百キロをレンタカーで走った。積み上げられた瓦礫の山、土台だけになった建物の跡に繁るセイタカアワダチソウ、空っぽで見晴らしのよすぎる元市街地と遠方の山、そういう風景に憑かれたらしい。身内を亡くしたわけでもないのに墓参のような気持ちで通った。
 十何回かのその三陸体験がぼくの中で表現の場を待っていたのだろう。だから彼らが双頭のフェリーをきっかけに始まった連載を占拠することになった。被災地のある場所で出会った人物が荒垣源太郎になり、知人が仮設住宅を出て新築の家に移った事例が応用され、下北沢で開かれたペルー・フェスティバルで聞いたフォルクローレが船上で再演された。
 マジック・リアリズムかもしれない。そうだとしてもマジックは一つ、船が育つことだけで、残りの部分は体験的なリアリズムだと作者は思っている。

 (いけざわ・なつき 作家)

池澤夏樹『双頭の船』978-4-10-375308-7