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書評・エッセイ

第八回新潮エンターテインメント大賞受賞作

書かねばならない衝動の在処

――光本正記『紅葉街駅前自殺センター』

池上冬樹

 複数の新人賞の予選委員や下読みの仕事をしているとわかるのだが、せっかく最終選考にあげて受賞の運びとなっても書かない新人作家がいる。いや、書かないのではなく書けない作家というべきか。大学受験と同じで合格するまでは一所懸命に勉強するけれど、入学してからは遊んでしまう。何を勉強したいのかの願望がなく、合格だけが目的なのである。それと同じように、新人賞をとることがゴールになっていて、何を書きたいのかの強い願望がない。大学生はいくらでも遊べるが、プロの作家は遊べない。一作一作が勝負なのである。
 本書『紅葉街駅前自殺センター』(応募時『白い夢』改題)は、第八回「新潮エンターテインメント大賞」の受賞作である。選考委員は畠中恵氏で、選評には「選考するにあたり願ったのは、作家として続けてゆける人に、出て欲しいということだ」とある。賞を与えても書かない新人が多いことを念頭に置いての発言だろう。だが、本書の光本正記は大丈夫。畠中氏が見込んだだけあって、ずっと書き続けていく、本当に書きたいものをしっかりともっている印象を抱かせる。
 土井洋介はその日も象の出てくる白い夢を見た。退職して半年、不安は消えず、睡眠薬とアルコールが手放せない。目覚めてテレビをつけると、「切断魔」の事件で騒いでいた。切断魔は殺した後に身体を切断して、その一部を遺族に送りつけることを繰り返していた。
 しかし洋介には関心はなかった。ようやく半年の悩みをふりきって、印鑑と免許証と過去の給与明細数ヶ月分をもって、紅葉街駅前自殺センターに向かう。洋介は面接を受け、国家の管理のもと自死を選ぶことにしたのだ。
 だが、手続きは意外と煩雑で、面接は五回あり、一回ごとに最低でも四日間の間隔をあけなければならなかった。洋介は一回ずつの面会を繰り返し、身辺整理をしていく。過去を思いだし、付き合いのある友人たちと会い、ひそかに別れを告げていく。自分が死んだときに自殺報告の通知書を出さなければならないのだが、誰に送るかも考えていた。しかし、最後の最後に思いがけない事実が洋介を襲い、愕然とする。
 自殺増加の抑止として、国家が自殺センターを各地域に設立している設定である。世界中から非難を受けつつも、自殺センターは着実に自殺率を引きさげていた。だがしかし、その制度は本当に人間的なのか、そもそも自殺することは正しいのかどうか、残された者の感情はどうなるのか、人を救うとはどういうことなのかと、作者は激しく問いかけていく。本書が優れているのはこの強いテーマ把握で、洋介の過去が少しずつ見えてきて、切実な響きを醸しだすようになる。
 物語はほぼ土井洋介の一人称「僕」で展開する。死ぬ準備をする男の日常がたんたんと描かれていくのだが、さりげなく登場する人物たちとの意外な関係や葛藤などがだんだんと見えてくる。この伏線・回収がいい。自殺願望者の手記であるけれど、決して陰々滅々としていないのは、「僕」が愛するポール・オースターの小説を引用して、死への耽溺をおさえ適度に距離を保っているからだろう。もちろんそれでも「僕」は自殺の道を選択するのだが、自分の関知する以外のところで物事は進み、残酷な情況と対峙する。物語の興趣をそぐので詳しくはいえないが、連続殺人鬼との関係である。
 応募時の枚数制限のためか、連続殺人鬼との関係がやや唐突の感はぬぐえない。それでも人物同士の隠された関係や夢の象徴性などで十二分に読ませる。ミステリとしての完成度は宿題として残るけれど、ミステリ的なプロットよりも人間ドラマに重きを置いた点は悪くないセンスだ。生きることの貴重さを訴える結末は実に力強いからである。
 最初に話をもどすと、各新人賞の下読みをしていると昔賞をとった作家たちがもう一度賞を求めて応募しているパターンに出会うことが多いが、厳しいことをいうなら、一度賞をとって作家として書き続けられなかった者に二回目はない。書かねばならない衝動、訴えたい強い動機が希薄だからである。だが、本書の光本正記にはそれらがある。着実に書き続けていくだろう。ずっと注目していきたいと思う。

 (いけがみ・ふゆき 文芸評論家)

光本正記『紅葉街駅前自殺センター』978-4-10-333411-8