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書評・エッセイ

我も彼も生きるための「必生」の古代史

上田正昭『私の日本古代史』(上・下)

井上満郎

 日本史の、それも古代史というサブジェクトに沿う叙述が、社会的に果たしうる役割、つまりは読む人々にもたらすものとは何であろうか。千年とか千五百年とかも前に起きた出来事で、起こったことへの好奇心、つまりは自分で確かめることのできない事象を知ることができたという満足のほかには、そこから暮らしに役立つ具体的な何かを学べるというわけでもない。
 ではそれはただ過ぎ去ってしまった時間であり、我々とは無関係なのかというと、そうではない。著者が古代史研究に情熱を燃やし続けて現在にいたっている理由でもあるのだが、それは過ぎ去った古代を「生ける古代」として構築することである。ある意味楽でもある象牙の塔的世界に閉じこもることなく、得た成果の社会への還元をたえず目指して、本書は「列島文化のあけぼの」から「国家のシステムがととのう」八世紀ころまでを対象として叙述されている。たしかにこの時代ははるかなる古代ではあるが、それは「現在の日本国家のありようにつながっている」のであり、今の国家や社会の原点となっており、この時代を見極めることが現代・未来を築くためのエンジンになるという確信のもとでの執筆であるといえよう。
 叙述の態度は、極めて実直かつ公平で、根拠のない推測、いわゆるロマンなどとはもとより一切無縁である。それは著者の終始一貫する研究態度であるが、本書に則して例示すれば、まずは国際的環境への広く深い視野があろう。今や常識だが、先鞭をつけたのはまぎれもなく著者であった。本書でも朝鮮・韓国史や中国史の成果が正確に吸収されており、周到な眼差しが注がれている。尽きることのない飽くなき探究心と知識欲がそうさせるのであろうが、よくもここまで国内外の調査・研究情報に目を配り得たと思えるほどである。日本の古代は海外、特に東アジア世界との豊かな交流・交渉のもとで形成されてきたが、それがただ理屈のみでいわれるのでなく、実証によって語られている。珠玉の古代史といってよい。
 神話・伝承についても豊富な叙述がなされている。歴史研究者がともすれば避けがちなこの課題に著者が早くから取り組んだこともよく知られているが、それを史実の反映、あるいは逆に空想所産と単純に見るのでなく、透徹した史眼でもって神話・伝承と史実の行き交いの様相が分析される。
 ところで著者はまたこの度の戦争に大きな負債感を持ち、戦後沖縄について「いったい幾人が、その痛みをわが痛みとしてうけとめることができたか」と述べ、終戦時の「十九歳の虚脱と懐疑をスタートとして」、つまりはその克服から始まった歴史研究であることを正直に告白している。古代にけっして沈潜・耽溺することなく、たえず現在におけるその社会化に渾身の力を今もささげ続けている著者の、我も彼もが必ず生きようとする覚悟をこめた文字通りに「必生(ひっせい)」の作品であろう。

 (いのうえ・みつお 京都産業大学名誉教授)

上田正昭『私の日本古代史』(上・下)978-4-10-603720-7,978-4-10-603721-4