書評

2012年11月号掲載

「だ抜き」言葉の無責任

梶原しげる『ひっかかる日本語』

梶原しげる

対象書籍名:『ひっかかる日本語』
対象著者:梶原しげる
対象書籍ISBN:978-4-10-610489-3

 年末恒例「新語・流行語大賞」のトップテンに、今年は「決められない政治」が入るかもしれない。そうなれば野田総理は昨年の「どじょう内閣」に続いて二年連続の栄冠に輝くことになる。
 その「決められない政治」と同じぐらい深刻だと一部で騒がれている「決められない日本語問題」をご存知だろうか。
「だ抜き+思います」表現だ。
 例えば、こんな場面で使われる。
 上司「例の件どうだ?」
 部下「大丈夫と思います……」
 この返事の場合、まず「思います」にひっかかって、「優柔不断だ!」と怒る上司もいるだろう。「大丈夫です!」と毅然として答えるべきだと言うのだ。
 一方で本来「大丈夫“だ”と思います」の「だ」が抜け落ちていることについては、「慎重で丁寧な物言い」と評価する人がいないとは言えない。でも、私は「だ抜き」のほうもアウトだと思う。「決められない」に直結するからだ。
 患者「先生、私の経過どうですか?」
 医師「大丈夫と思いますよ」
 話し手は「大丈夫だ」の「だ」を抜くことで断定を巧妙に避けているのだ。
 あとで大丈夫でないことが判明した時、責任を追及されたくない。この種の表現を私は「防衛的曖昧表現」と呼んでいる。ちなみに、この手の「決めない・決断しない」=無責任な立場を取る人々が徐々に増えている状況を「非ズバリ化」として分析したのは私の友人でNHK放送文化研究所の塩田雄大(たけひろ)さんだ。
「だ抜き」の蔓延に私が気づいたのは数年前、某洋品店でジャケットを購入した時のこと。
「このジャケット私に似合いますか?」
 店員さんに尋ねたところ「お似合いと思いますよ」……その「だ抜き」にひっかかった。
「この店員、本当は似合うとは思っていないかもしれない。いや、似合うかどうかの判断さえ避けようとしているのではないか? それが無意識に言葉に出ているのではないか?」
 実際、冷静になってみるとあまり似合わないジャケットであった。以来「素敵と思います」「上品と思います」等々、「だ抜き+思います」を使う人の言葉は信用しないことにしている。
 おそらく、あの店員さんも含めて一般の「だ抜き+思います」には深い意図など無いのかもしれない。しかしこれを「決められない政治家」たちが戦略的に使い始めたら要注意だろう。
「わが党にお任せください。きっと日本は大丈夫と思います」
 ひっかかる日本語から世間が見えて来る。
 新潮新書一〇月新刊、拙著『ひっかかる日本語』。これぞあなたにお勧めできる一冊“だ”と断言いたします。

 (かじわら・しげる フリーアナウンサー)

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