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対談・鼎談

宮部みゆき 『ソロモンの偽証』 完結記念座談会

早くも「宮部みゆき最高傑作」の声。読書のプロはこの大作をどう読んだか。

最後の証人の登場に中学校の「法廷」は沸騰した。この裁判は最初から仕組まれていたのか。大作は驚天動地のラストに雪崩れ込む。読了直後の文芸評論家三氏に感想を伺った。

吉田伸子 × 杉江松恋 × 大森望

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スピード感充分

吉田 大変なボリュームなのに、巧みな語り口で長さを感じさせませんよね。

杉江 私も、まさに一気呵成でした。

大森 各巻七〇〇頁超だけど、体感的には三〇〇頁くらい。どんどん頁がめくれる。

吉田 私はじっくり味わいたいので、敢えて時間をかけて読みました(笑)。宮部さんの作品はどれも粒揃いというか、傑作なんですが、『ソロモンの偽証』は、今現在の宮部さんの最高傑作じゃないかと思います。

大森 宮部さん初の法廷小説なんですよね。法廷シーンは丁々発止のディスカッションが続き大変盛り上がりますが、開廷まで二巻分の手間をかけるところが実に宮部さんらしい。

杉江 なぜ宮部さんは、法廷小説という枠組みをとったのか。中学三年生たちが事件を解決するだけなら、探偵小説でもいいわけです。法廷小説はあるルールに則って事の真偽を決めます。見込みを排除して、証言や証拠も提出しなければならない。探偵の推理ならそこは不徹底でも結論に至る筋道があれば許されるけど、法廷ではそうはいかない。中学生たちに、きちんと実証主義の考え方をさせたかったんでしょうね。

吉田 宮部さんは子どもたちの可塑性を信じていて、彼らの可塑性を描き出すために「法廷」という場を設けたんじゃないでしょうか。裁きの場という形はとっていますが、そこで浮かび上がって来るのは、真実を知りたいと立ち上がった子どもたちが成長して行く姿です。同時に、クローズされた場でどれだけ事実が明らかになったとしても、その事実がオープンにならないと意味がない、真実にはならないのだ、という宮部さんの考えも込められているような気がします。

大森 『ソロモンの偽証』は図らずも大津のいじめ自殺事件とみごとにシンクロしてますね。この小説では、公開の場で模擬裁判を行うことで、有罪無罪とは直接関係のない、事件の背後にあるさまざまな真実を明らかにしていく。

吉田 大人から提示された真実ではなくて、子どもたち自身が知りたい真実、というのはいつの時代にもあるんだと思う。

大森 裁判なら傍聴人が入る。それも、探偵小説じゃなくて法廷小説を選んだ理由でしょう。この事件の場合、警察捜査は第Ⅰ部で終わっている。警察が公的に介入する余地のない学校内の模擬裁判という設定だから、逆にリアルに読める。

吉田 警察事件としては終わっているんですよね。でも、だからこそ、子どもたちは自分たちの真実を探し始める。

大森 現実にこういう裁判が学校の体育館を借りて開けるかと考えると、かなり無理があるはずなんだけど――。

吉田 その無理を読者に感じさせないように、第Ⅰ部丸々一冊を費やしているんですよね。その丁寧さ、緻密さが凄い。

大森 保護者会とか、学年集会とか、会議のたびに物語がヒートアップして、その勢いで自然と裁判へ突入していく。宮部作品で、こんなに大人数の討論が正面から描かれるのは初めてだと思いますが、見事ですね。手に汗握りました。

杉江 僕は子どもの小学校でPTAの会長をしていたので、保護者会にはさんざん出てるんですが、非常にリアルですね。宮部さんはいったいどうやって取材したのかと思うくらい。

登場人物それぞれの陰影

吉田 これだけの長編なので登場人物も相当な数になるんですが、誰ひとりおざなりにしていない。登場人物それぞれの顔が見える。主人公の藤野涼子は優等生で容姿も良くて、誰からも好かれるキャラ。両親から愛されて育って来た。クラスメイトの向坂行夫と倉田まり子は下町でよく見かけるタイプというか、いわゆるお勉強は苦手かもしれないけど、人生知みたいなものをちゃんと持っている。この二人は宮部作品を象徴する善のキャラですね。その一方で、家庭に問題を抱えている子どもも多く登場します。

杉江 筆頭は野田健一ですね。彼の親は今でいうネグレクト(育児放棄)です。彼は両親に対して幻滅し、自分を守らなければと思い詰めてしまう。対比として、死んだ柏木卓也の兄・宏之がいて、こちらはすでに家庭を見限り高校生にして家を出ています。このように、第Ⅰ部で大人の犠牲になるまいとあがく子どもを描いているので、第Ⅱ部以降で子どもが自立しようとする姿に説得力があるんですよね。

吉田 野田健一がその典型でしょう。物語を通じて驚くほどの成長を遂げる。行夫、まり子と対照的に、悪意の象徴として描かれているのが、三宅樹理。

大森 皮肉な話だけど、いちばん実利があったのは彼女かもね。長年の悩みが解消したんだから、お得ですよ(笑)。

吉田 また、そういうことを言う(笑)。お得かどうかは置いておいて、裁判を通じて三宅樹理の悪意までをも昇華させている、というのがまた凄いんですよね。

大森 学校裁判が公開カウンセリング的な意味合いを持っている。樹理は件の告発状の差出人で、読者にだけはそれが明かされているわけですが、裁判を通じて、そのことを彼女にいかに認めさせるかが鍵になる。柏木卓也殺害の容疑をかけられた不良少年の大出俊次もそうです。犯人じゃないのは自明だとしても、告発状で名指しされたことには理由がある。それを本人にどう認めさせるか。当事者が真実とどう向き合うかが問題なんです。

吉田 樹理が告発状を書いたという確信を一番強く持っている藤野涼子に、彼女の弁護をさせるという設定も上手いです。

大森 涼子は、ほんとうは大出俊次の弁護をするはずが、逆の役割になってしまう。

杉江 ある役割を請け負った人間は、その役割を全うしなければならないということを伝えたかったのではないでしょうか。たとえば十代の読者は世間知が少ないですから、涼子はどうせ樹理を信じていないだろうと、本音と建て前を使い分けているだけじゃないかと不審に感じると思うんです。けれども、涼子は検事だから、自分側の証人である樹理のことは信じるし、守る。また大出俊次の弁護人である神原和彦は、大出が起こしたある傷害事件が裁判で持ち出されそうになったとき、その証言を却下しますよね。読者に、真実に辿り着くためにはこういう道のりが必要なのだと示しているんです。

吉田 学校内での人間関係も絶妙です。藤野涼子はまり子と仲が良いのだけど、まり子のキャラに物足りなさを感じてもいる。三宅樹理がいつも連れ回すのは、太っているけど心優しい浅井松子。樹理は松子を見下してぞんざいに扱っていますが、実は涼子もまり子のことを低く見ているところがある。このあたりの女子どうしの関係性、中学生と言えど、一筋縄ではいかない女の友情の怖さをちゃんと描いている。野田健一や向坂行夫のような、いわゆるイケてない二人の間にさえ同じような関係性が描かれていて、そこが鋭いなぁ、と。

大森 学校カーストまで描かれている、と。

杉江 けどね、宮部さんは優しいですよ。最近の学校カーストをテーマにした小説のように関係性を分断せずに、クラスメイト同士のつながりを残しているんですから。

大森 そもそも、よく知らなかったクラスメイトのために裁判を決意するわけですからね。

杉江 そこが大事ですね。彼に対する罪悪感を生徒たちは持っているでしょうが、あからさまに出さないのが巧い。彼らが真実を追究していく姿でそれを表現しているわけです。

吉田 それぞれの登場人物のエピソードだけでも長編小説として成立しますよね。それだけの内容を手際良く物語っていきつつ、随所にちりばめられた伏線もきれいに回収している。

杉江 誰もが主人公になれますよ。しかも誰もが、悪い方向へ運びこまれてしまうというか、思い通りに事が進まなくなってしまう。スリラーの基本ですが、そこも徹底しています。

吉田 大出俊次の父親はその典型ですよね。

杉江 野田健一の父親もそうです。脱サラして北軽井沢にペンションですよ! あの時代にどれだけいたことか。

大森 学校の教師たちの造形も鮮やかですね。

杉江 公立中学校の様子は実にリアルでした。岡野教頭が記者会見を開きますが、彼の台詞だけで教育委員会の傀儡であることがすぐに分かる! 出世するタイプだろうなぁ。

吉田 実社会さながらに、悪い大人と良い大人を存在させている。

大森 しかも、一面的じゃない。メディアに翻弄される津崎校長は、実は誠実かつ優秀な人材で、通常のトラブルだったらきちんと対応できていた。逆に、生徒に人気の高い、若くて美人の森内先生は、好きじゃない生徒に無関心で。

吉田 人間性のネガとポジ、そのどちらもが描かれている。

杉江 第Ⅰ部の書き方はとてもテクニカルに全員の意識を細かく追っています。ネタばらしになるのではと案じてしまうくらいに。けれど、人物に神視点の解説を入れることで、彼らが何をどう考えているかを伝えようとしているわけで、それがこの小説の特徴のひとつなんですよね。

大森 ちなみに、僕が一番好きなのは、ブツブツ言いながらテープ起こしを手伝ってくれる、井上判事のお姉ちゃん。

吉田 グラマーなね(笑)。

大森 判事役の井上くんはスーパー優等生という設定だけど、家に帰るとああいう姉がいて、虐げられてもいるわけで。

吉田 スーパー優等生なんだけど、弁護人の神原くんが通う私立中学の受験には失敗している、という。それだけで、井上くんのキャラに屈託が出る。

大森 その弁護人も、麻布か開成か、みたいな私立の最難関校は落ちているという。

吉田 そういうディテイルにも1ミリも手を抜いていない!

悪意の捌き方

吉田 実は一番のモンスターは、三宅樹理ではないんですよね。その人物には救いがなくて、まるで白い紙に落ちたインクの黒いシミみたいに見えました。

杉江 『模倣犯』に登場するような、純粋な悪の持ち主でしたね。宮部さんは、『理由』で真相解明に至る道筋を擬似ドキュメンタリーの手法で書き、『模倣犯』では事件に絡んだ人々がどうやってその後の人生を歩んだかを追求しました。純粋な悪に触れた人たちがどう動くかを描いたという点では、これまでの小説と連続性をもって本作は書かれていますよね。けど、今回は悪の正体を子どもたちには見せていない。常に新しい書き方に挑戦される作家なんです。

大森 善と悪という根源的なテーマを正面から描くのに、以前は、ファンタジーの『英雄の書』のように、日常から切り離された異世界を舞台に選んでいた。でも、今回は学校内裁判という新たな異空間を作ることで、普通の現代ミステリーでは踏み込みにくい領域にまで踏み込んで登場人物に議論させることに成功している。

杉江 しかも、みんなが進めてきた裁判に、実は決定性がないことを樹理に証言させてしまいます。

大森 最後の証人の決定的な証言は、客観的に証明できない。

杉江 自白に過ぎないんです。

大森 その意味では、事件の謎解きよりも、謎が解かれたあとに事件をどう決着させるか、登場人物と読者の双方に、どういう納得をもたらすかが、この小説のポイントだと思います。謎解きや意外性の演出が本筋じゃない。

吉田 物語がドラスティックに展開するわけではないしね。

大森 だから、客観的な真実は大きな問題じゃなくて、もしかしたら最後の証言も全部嘘かもしれないけれども、たとえそうであってもかまわない。それよりも、事件をみんながどう受け止め、乗り越えて生きていくかが大切なんです。

隠されたメッセージ

杉江 ここ数年、宮部さんは、親と子で小説を読んで欲しいと、小説を読むことが物事を考えるきっかけになって欲しいと語ってきました。たとえば自分が陥った辛いシチュエーションと類似した状況を小説の中で知って解決策を見つけられるかもしれないし、しかもそれを親とも共有できるからと。『ソロモンの偽証』は中学生くらいの子どもにも読んでもらいたいと思いながら書かれたんだと思うんです。

大森 学校だけが世界じゃないというメッセージもありますね。学校でほとんど友だちのいなかった卓也にも、塾では友だちがいたし、尊敬できる先生がいた。

杉江 閉じた環境で人間が腐ってしまう様を描きながら、家庭にしろ学校にしろどこかに自分を逃がす算段はあるよと、全体を通じて書かれていて、そこに救いがあるんです。

吉田 「死んじゃだめなんだよ」とはひと言も書いていませんが、読むと、そういうメッセージが伝わってくる。自分も変われるし、周りだって変わる。だから性急に答えを出さないで、と。親の立場からも、子どもに読んでもらいたいです。

杉江 それはね、陰惨な犯罪が起こらないからでもありますよ。宮部さんはそういう状況を覚悟を持って書ける方ですが、この作品には出さなかった。中学校を舞台にして、もっとドロドロとしたものを書くこともできるのに、それは宮部さんの意図だったと思います。主人公たちはいわゆるロストジェネレーション世代。バブルが崩壊した後に社会に出たので、一番割を食った世代ですよね。自分たちには未来がないと思い込んで、ネット難民も多い。そんな挫折感の多い彼らに対して、あなたたちが感じている漠然とした未来のなさというのは打ち破れるんだよと、宮部さんは言っているんじゃないでしょうか。現代に必要な、実に、優しい小説だと思いました。

(よしだ・のぶこ/すぎえ・まつこい/おおもり・もぞみ)

宮部みゆき『ソロモンの偽証』第Ⅰ部 事件/第Ⅱ部 決意/第Ⅲ部 法廷 978-4-10-375010-9,978-4-10-375011-6,978-4-10-375012-3