書評

2012年8月号掲載

大震災に立ち向った鉄道員

――内田宗治『関東大震災と鉄道』

今尾恵介

対象書籍名:『関東大震災と鉄道』
対象著者:内田宗治
対象書籍ISBN:978-4-10-332561-1

 相模湾に箱根の外輪山が迫る根府川駅。海抜45メートルのホームからは海が一望の下に俯瞰できる。その南側に架かる上路トラス橋は、かつてブルートレイン華やかなりし頃に撮影の名所として知られた白糸川橋梁。ここで関東大震災時に大規模な地滑りと山津波が発生し、停止していた列車は駅もろとも海中に押し流され、多くの死傷者が出た。
 生き残った人の証言は実に生々しい。高台にある駅から客車は海岸まで転落し、そこへ海水が怒濤のように流れ込む。直前には不安そうな面持ちで泣くミイちゃんと母親の様子。「消えた根府川駅」のすぐ近くにいて助かった少年が聞く「山が来た! 逃げろ」というあり得ないような内容の叫び声が、震える筆致で遺されている。
 大正12年(1923)といえば日本の鉄道は幹線の建設をほぼ終え、枝葉のように小私鉄の路線が繁りつつあった頃だ。東京の山手線は環状の完成までもう少しという段階であるが、強震域に重なる東海道本線や北条線(現内房線)などの被害は大きく、大火となった東京・横浜の市街地では無事だった車両も火災に巻き込まれて多くが灰燼に帰している。そんな非常時にあっても、現場に居合わせた鉄道員は果敢に難事に立ち向かった。
 被災地・東京からの列車は地方へ脱出しようとする人で当然ながらごった返すわけだが、駅どうしの通信は大半が途切れて使い物にならない。しかし震災当日には東京鉄道局の下にある新橋、上野などの運輸事務所が独断で「無賃輸送」を決めている。鉄道省が公式に無賃輸送を発令するのはその2日後のことだ。各地では駅舎を開放して避難民を受け入れた。東海道本線の二宮駅では被災者のため線路上の列車を宿泊所として提供し、鉄道の町であった山北でも駅で炊き出しが行われている。
 鎌倉駅の大久保駅長の対応は見事であった。狼狽する職員全員を非常呼集して役割を振り分け、重要な荷物の保全・搬出や避難民の救助などにあたらせている。火災が迫る駅の建物には便所の尿溜の尿をかけてでも防火につとめた。火災が一段落すると津波が海岸部を襲うが、津波から逃れてきた人々には貨物列車に積まれていた白米や煮干魚などを分け与え、飲料水の確保も行った。まるで駅が「救護ステーション」の役割を果たしている。ここまで聞いてしまうと、東日本大震災の際に行われた「駅構内からの乗客締め出し」が思い出されてならない。
 海神奈川駅では、現在の横浜駅の近くにあったライジングサン石油、スタンダード石油の貯油槽が爆発して火の海になりつつあった状況下で駅員がとっさに判断して貨物列車に積まれた大量の火薬類を近くの海に投じて難を逃れた。東京~清水間の代替輸送では関釜連絡船の船を回すことを門司鉄道局の課長会議が即決、ただちに船を回送させている。これら臨機応変の処置の背景には、初代鉄道院総裁であった後藤新平の「悪しき官僚化を防ぐための課長中心主義」「現場即決主義」という意向が反映されているはず、と著者は分析している。鉄道省も後日、これら功労者への論功行賞をきちんと行った。
 本書は著者の内田宗治さんが鉄道省が昭和2年に刊行した『国有鉄道震災誌』という大部の書籍をはじめ巻末に数多く掲げられた資料を参照し、また現地へ足を運び、体験者の子孫からも証言を得て完成させたものだ。詳細な駅や列車の被災状況を中心としながらも、復旧に鉄道連隊が大いに活躍したことや、「号外競争」のため新聞各社がどのように鉄道を利用したかをめぐるドラマ、また震災後に明瞭になっていく首都圏の郊外住宅地の流行・定着など、今日に続く都市構造の変貌にまで言及した読み応えある1冊である。
 さてこれから先、JR東日本をはじめとする鉄道各社は、昨年の東日本大震災で起きたことを90年後の読者に正しく伝えることができるだろうか。

 (いまお・けいすけ 地図エッセイスト)

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