書評

2012年8月号掲載

全編を流れるジャズの音色

――秋尾沙戸子『スウィング・ジャパン 日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶』

片岡義男

対象書籍名:『スウィング・ジャパン 日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶』
対象著者:秋尾沙戸子
対象書籍ISBN:978-4-10-437003-0

 一九五九年に東京で録音されたその一枚はなかなか手に入らない。後にCDで復刻されたのを僕は持っている。何度も聴いた。忘れることはない。どこかの店でこのCDが再生されているのを偶然に受けとめたなら、これはあのジャズだ、と確信を持って思うに違いない。僕がもっとも共感を抱くのはドラムスだ。ベースも立派だ。本来はトリオつまり三人だが、ピアノ奏者は曲によってはアルトサックスも演奏して多重録音し、アルトサックスはおなじく曲によって四重録音まで重ねてあるから、このことを知ってしまうとよけいに、このジャズは忘れがたい。
 このジャズのLPでピアノとアルトサックスを演奏し、自作曲を提供し、編曲をおこなったのは、ジェームズ・トモマサ・アラキという日系二世の男性だ。戦後日本のジャズに多少とも興味のある人なら、ジミー荒木の名は知っているだろう。そして本書はこのジミー荒木の、詳細をきわめた年代記だ。なんと言っていいのかわからないほどに面白く読める、とまず言っておこう。
 アメリカにおける日系の人たちの、一世を中心とした物語が、太平洋戦争をあいだにはさんで存分に波を打つ。その波に二世の青年たちの物語が重なる。その物語は太平洋の戦場へと出ていく。二世の青年は戦後の日本へ進駐米兵として赴き、戦後の物語を引き受ける。緻密さをきわめた広範囲にわたる取材で得た材料を主題そのものとして、年代に沿って真っ正面から堂々と書き進んだ結果である本書は、日本とアメリカという複雑で多岐にわたる関係のなかから、主人公とそのわき役たちをくっきりと浮き上がらせた、ノンフィクションの傑作だ。
 全編を支えて前進させるテーマ音楽はジャズだ。若きジミーは戦時下の日系人強制収容所のなかで、ジャズをとおしてスウィング・ジャズに夢中となる。シアズ・ローバックのカタログで金属製のクラリネットを三十ドルで手に入れて独習し、収容所のなかに作られたスウィング・バンドのリーダーとなる。スウィングは当時のアメリカそのものと言ってよく、戦争遂行を支えた最大の武器はスウィングだった、とまで言われている。
 高校を卒業したジミーは日系人を対象におこなわれた徴兵の一期生としてアメリカ陸軍の兵士となり、陸軍情報部の日本語学校に配属された。日本語のわかる兵士の戦場における重要性をアメリカ軍はよく知っていた。この学校でもジミーはスウィング・バンドの一員となって演奏し、休暇でシカゴへいってジャズに触れ、半年の教程を終えたあとのサバティカルではニューヨークへいき、そこでビーバップを知った。スウィングの終わりはビーバップ、つまりモダン・ジャズの始まりだった。一九四六年、曹長となったジミーは、進駐米兵のひとりとして、輸送船で日本へと向かった。この船の上でもジミーはジャズの演奏に夢中だった。
 アメリカの戦争遂行は日本の敗戦で終わったが、負けた日本にはアメリカ軍を経由してスウィングが流れ込んだ。ジャズは戦後の日本で大流行した。日本の演奏者たちのほとんどは、スウィングで止まっていて、その先のビーバップを知らなかった。ジミー荒木は戦後日本のジャズ・ミュージシャンたちにビーバップを口移しで教えたアメリカ人となった。
 冒頭にあげたLPのほかに手に入れやすいのは、ライオネル・ハンプトン楽団の残した録音だろう。思いがけないところでアルトサックスを吹くジミー荒木を発見することになる。ハンプトンには入団を勧められたが荒木は断り、日本の中世文学を研究して論文を書く道を選んだ。そこでたどりついたのは、もののあわれ、の世界観だったという。一九六〇年代なかばからハワイ大学で教壇に立ち、一九九一年に病没した。もの静かにきらめく星の下に生を受けた荒木は、そこをきれいに歩いた。

 (かたおか・よしお 作家)

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