書評

2012年8月号掲載

『歌に私は泣くだらう』刊行記念特集

妻に捧げた長大な挽歌、相聞歌

――永田和宏『歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子(かわのゆうこ) 闘病の十年』

梯久美子

対象書籍名:『歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子 闘病の十年』
対象著者:永田和宏
対象書籍ISBN:978-4-10-126381-6

 本書を読む誰もが、河野裕子という女性に圧倒され、魅了され、泣かされるだろう。配偶者を失った人の手記を読むと、たいていは遺された者の悲しみに共感して涙することになるが、本書の読者を泣かせるのは、先に逝った河野の、葛藤と痛みに満ち、それでいて圧倒的な輝きを放つ晩年の姿である。
 一昨年の八月に六四歳で亡くなった河野裕子は、最年少の二三歳で角川短歌賞を受賞、以後、歌壇のスターであり続けた。〈たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか〉〈ブラウスの中まで明かるき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり〉などの青春の歌、〈子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る〉といった母としての歌など代表作は枚挙にいとまがない。
 ふだん短歌に縁のない女性たちも、彼女の歌を読めば、そこに自身の人生を重ね心を動かされる、そんな歌人だった。
 本書には、河野が乳癌を告知されてから、闘病、転移、そして死に至るまでの日々が綴られている。圧巻は、癌が見つかって手術をしたのち精神が不安定になり、怒りの発作を起こして狂乱する河野と、そんな妻に戸惑い傷つき、自身も狂気の淵をのぞき見ることになる永田自身を描いた章だ。
 自分がこんなことになったのはあなたのせいだとなじり、朝まで罵りの言葉を浴びせつづける。睡眠剤で朦朧としたまま包丁をテーブルや畳に突き立てる。永田氏の周囲に女性が居ることを許さず、娘が高校生のころ、その髪を撫でたことを持ち出して不潔だと罵ることもあった。あなたも撫でられて喜んでいたではないかと、娘を責めることまでしたという。
 その当時、島尾敏雄の『死の棘』ほど身につまされる小説はなかったと永田氏は述べている。『死の棘』は、夫の浮気をきっかけに妻がヒステリックな発作を起こすようになり、ついには夫婦で精神病棟に入院するに至る私小説である。
 ミホ夫人の狂乱の原因は夫の浮気だが、河野の場合は「置いてきぼり感」ではなかったかと永田氏は書く。乳癌によって女性としての自信を失い、再発の恐怖もある中、夫はこれまでと同じように外へ出て行く。学者としての仕事もあり、また、歌集の受賞が相次ぐなど、歌人としてもまさに脂が乗った時期だった。置いていかれ、見放されることへの恐怖から、「あなたのせいだ」と責任を認めさせることで夫を縛っておきたかったのではないかと述べている。
 私は『死の棘』に描かれたミホ夫人に興味を持ち、生前、評伝を書く目的で数度にわたってインタビューをしている。没後に発見された『死の棘』時代のミホ夫人の日記なども読んできたが、確かにミホ夫人の発作は河野のそれと非常によく似ている。他人の目のあるところでは、直前までの狂乱が嘘のように、急にまともになるところもまったく同じだ。本書には、耐えきれなくなった永田氏が、テレビに向かって椅子を投げつけ、廊下を走ってトイレのドアを蹴破り、後ろから止めた息子の肩にすがって身も世もなく泣く場面が出てくるが、ほとんど同じことを島尾敏雄もやっている。
 しかし河野裕子と永田和宏の夫婦には、島尾夫妻と決定的に違う点がある。二人の間に歌という回路があったことだ。河野はどんなに荒れているときも、発表前の歌稿を永田氏に見せたという。まともな会話が成立しないときも、歌によって夫婦はつながり合うことができたのだ。
〈あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて 河野裕子〉
 途方に暮れた永田氏が妻を抱きしめたまま泣いたときのことを詠った歌だ。「後年、この一首を見たとき、私は、それまでの彼女の錯乱にも似た発作と激情の嵐、私への罵言のすべてを許せると思った」と永田氏は書いている。修羅の日々にあって、互いの歌が互いを支えたのである。
 そして、死の床で夫が書き取った永訣の歌。死去以来、数えきれぬほど引かれた歌だが、何度でも引用しよう。
〈手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が 河野裕子〉
 愛する人の声を、その人がもういない世界に響かせる。それは、自らも歌人であり、命がけで歌を作るとはどういうことかを知っている永田氏にして初めて可能なことだったろう。本書はその全体が、妻に捧げた長大な挽歌であり、相聞歌であるとともに、歌人・河野裕子の見事な評伝である。

 (かけはし・くみこ ノンフィクション作家)

最新の書評

ページの先頭へ