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書評・エッセイ

強くはない私たちのために

――小野寺史宜『転がる空に雨は降らない』

北上次郎

 そうか、これはサッカー小説だったのか。半分以上読み進んでから、ようやく気がついた。
 若き佳之也(かのや)は優勝を争うクラブ・チームのユースからやがてトップ・チームの主力に、一方の灰沢(はいざわ)は下り坂の控えキーパーで、それぞれのドラマが綿密に、的確に、そして鮮やかに描かれていくから、これは最初からサッカー小説である。
 にもかかわらず、途中までサッカー小説であることに気がつかなかったのは、いや、そういうことをまったく意識せずに読み進んだのは、佳之也と灰沢だけにとどまらず、登場人物の一人一人がそれぞれの意見と生活を持ち、夢と喜びと迷いと反省、そういうさまざまな感情を抱えながら、物語の中を自由に動きまわっていたからだ。つまり、サッカーという主題の前に、まず個性豊かな彼らがいるのだ。彼ら一人一人の人生を読んでいるだけで大変興味深い。
 冒頭すぐに起きることだから、ここにも書いてしまうが、灰沢の幼い息子が、佳之也の父親が運転する車にはねられる。本書はそこから始まる物語である。「被害者」の家族と、「加害者」の家族の、その後を描く物語である。
 この大枠を聞くだけで、家族の崩壊と、そして再生を描いていくのだなと想像するのはたやすい。そういう先の見える小説など読みたくない、と言う方がいてもおかしくはない。ところがどっこい、そういう先入観を持って読み進むと、そうではないことが判明する。
 いや、たしかに「家族の崩壊と再生」なのだ。ここにあるのはそのドラマである。しかしそれはあとから気がつくことであって、読んでいる間は、「家族の崩壊と再生」の物語であることを意識しない。それは、これまで何度も読んできた類似の話とは少し異なっているからだ。
 もともと私、再生するドラマは好きだけど、崩壊のドラマは暗いから、そういう話は好きではない。とてもわがままではあるけれど暗い気持ちになる話はいやなのである。せめて小説くらいは希望のある話を読みたいではないか。ところが本書は、その「読みたくない話」であるにもかかわらず、ぐいぐい引きずり込まれていく。さらに驚くことに、はっと気がつくと、全然暗い気持ちになっていない。いったいなぜか。
 とてもリアルだからである。わが子を失った親の悲しみと怒り、徐々に生まれる夫婦の確執、そして父親が事故を起こしたために崩壊した家庭で育つ少年――誰一人、悪い人間などいないにもかかわらず、幸せから遠ざかっていく者たちの日々を、それでも幸せでありたいと願う者たちの人生を、くっきりと彫り深く、鮮やかに描いているからだ。
 ひらたく言ってしまえば、ここに書いてあることは他人事ではないのだ。若き佳之也に起きた問題は私の問題であり、灰沢が直面する問題も、私の問題である。いや私はサッカー選手ではないから、同じではありえない。そういうふうに思わせる、という話である。ようするに、自分の問題なら、それを何とかしなければならない。人生をどう建て直したらいいのか、悲しみや怒りを抱えながら生きていくにはどうしたらいいのか、その日々の過ごし方を具体的に考えなければならない。つまり、暗い気持ちになっている暇などない――ということだ。そのリアリティを生み出しているのが、この作家の造形力であり、描写力であることは言うまでもない。
 佳之也が公園で知り合った少年の家で、みんなと晩飯を食べるシーンに代表されるように、印象に残るシーンが少なくないのも本書の美点だろう。きらきらと光っている。
 辛いことは、出来ればなかったことにしたいけれど、そしてそれを忘れることは絶対に出来ないけれど、しかし私たちは前を向いて進んでいかなければならないのだ。車の運転に注意するようにと佳之也が言ったときの青海(あおみ)の返事を読まれたい。ここで目頭が熱くなるのは、その哀しい決意がここから立ち上がってくるからにほかならない。
 私たちは一人で生きていけるほど強くはない。家族や恋人や友達、誰かがいなければ生きていけない。しかし、そういう相手がいるならば、その人を慈しみ、今日からは前を向いて生きていこう。読み終わると、ふつふつとそういう力が湧いてくる。いい小説だ。元気が出てくる小説だ。

 (きたがみ・じろう 文芸評論家)

小野寺史宜『転がる空に雨は降らない』978-4-10-332541-3