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インタビュー

『とうへんぼくで、ばかったれ』刊行記念特集 インタビュー

すべりっぷり、ころびっぷり

朝倉かすみ

 一年半ぶりの新刊です。二十三歳の若い女の子と四十を過ぎた独身男がすべったりころんだりするお話です。
 もともと、軽やかで、おかしみがあって、愛嬌のある小説が大好きです。ただごとではない、深刻なものも好きですが、そちら側ばっかりが小説、ではないんじゃないかなと思っています。とはいえ、どんな小説でも、登場人物にしてみたら「起こったこと」はおおごとで深刻です。
 軽やかで、おかしみがあり、愛嬌のある小説でも、人生に触れることはできると思う。そういう心持ちで書いたのがデビュー作の『肝、焼ける』でした。『とうへんぼくで、ばかったれ』はいままで書いたなかで、デビュー作にいちばん近いような気がします。
 小説を書く前に、人物の動き方や出来事など、ある程度、こんな感じのものを書きたい、と決めてはいるんですが、自分がそれを書けるかどうかは、ほとんど勘定に入れていません。できるかどうかを考えて書くものを決めるのは、あんまり楽しくないのではないか、と思っているからです。
 今回は、書き始める前に、同性の友達とぐだぐだ遊んだり、美味しいものを食べに行ったりばかりに熱心で、色恋沙汰には決してぐっと踏み込むことのないような、四十代独身男性の話にしようと思っていました。男の側に視点を固定して、最後まで書くつもりでいました。
 でも、榎又(えのまた)さんという男性の一人称で、第一章の「金瓜」を書いているときに、あたまの中にあるものを、字にすることがなかなかできなくて、うんうん唸って締切も過ぎて、このままだと、思った通りに、まったくいかないなと気づきました。いまのようなゆったりとした調子で長いものを書いていっても、お話の勢いがちょっと足りないままで終わってしまうかもしれない、うまくいきそうにないな、まずいな、と。
 それで、第二章の「寝よだれ」からは、視点人物を、榎又さんにひとめぼれした女の子である吉田にしました。「会いたい」と「知りたい」で胸がいっぱいになって、やがて「欲しい」も加わりどうしようもなくなって、榎又さんに接触するため、札幌から東京に出て行く吉田の行動とゆらゆらした心の動きを追いかけながら、かのじょの目を通して榎又さんのぐずぐずした感じを書こう、と方針を変えたんです。
 そのときに、もうひとつ、“始まりから終わりまで”を全部書きたい、書こう、と決めました。いつかは、出来事の最初から最後まで全部、を書けるようになりたいな、と前から思っていたんです。これまでは、何かが始まって途中まで進んだところや、何かの真ん中あたりからお話が始まってそろそろ決着がつきそうです、というところで小説を終えていたのですが、今回は、ちょっと挑戦してみました。
 小説のなかの時間の流れは、連載していた「yom yom」の発売にそろえました。次の号が出るまで2ヶ月の間隔があるときには2ヶ月、3ヶ月だったら3ヶ月、同じ分だけ小説のなかでも時間が進んでいます。ですので、その間に起こった事件のようなものは、現在進行形としてではなく、吉田の語りや回想によって、伝えられることになりました。
 張り込み、尾行と、吉田の行為はストーカーに重なってみえるかもしれません。でも「好き」になることには、相手のことを知りたい、と強く願う気持ちも含まれているはずです。刺したり盗撮したりと、迷惑をかけてしまってはいけませんが、相手のことを調べ、知識が増すことで、もっと詳しく知りたくなって、好きも大きくなっていく。私も、好きな人ができて、その人の住所がわかったら、ゼンリンの住宅地図を広げて家の場所を確認していました。ここに家があるんだとわかるだけで、なんだかうれしい、と思ったものです。
 吉田自身、深く考えてというよりも、かのじょなりに、榎又さんが好きだという気持ちに対して誠実にがんばった結果、調査したり上京したりする以外、選択肢がなかったのだと思います。気がついたら、当初の想定より、飛距離が伸びていた感じ。そのひとりずもうっぷりをはじめ、吉田と榎又さんふたりのすべりっぷり、ころびっぷりを、楽しんでいただけたら、とてもうれしいです。

 (あさくら・かすみ 作家)

朝倉かすみ『とうへんぼくで、ばかったれ』978-4-10-332341-9