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書評・エッセイ

『とうへんぼくで、ばかったれ』刊行記念特集

「ささやか」ではないおかしみ

――朝倉かすみ『とうへんぼくで、ばかったれ』

宮下奈都

 もとより「ささやかなしあわせ」という言い回しがどうにも気に入らない質(たち)である。
 しあわせは大きなものだ。ささやかなものでは決してない。たとえ、はたのひとたちから見ればちっぽけでつまらぬものでも、当人にとっては巨大であるはずだ。

 ああ、うっとりします。ぶるっときませんか。

 枇杷介にカボチャの種をひと粒ずつ手渡しながら、もっと、もっと、もっとだ、と口のなかでいった。けちけちすんなよ。やれるだけのことはやれよ。

 ここでも、ぶるぶるっときました。枇杷介というのは語り手・吉田苑美二十三歳に飼われているゴールデンハムスターです。むろん吉田はハムスターを焚きつけているわけではなく、自らを鼓舞しているのです。
 もっと、もっと、けちけちすんなよ、やれるだけのことはやれよ。――そんな台詞に彩られる力強い小説ではない気がします。むしろ、吉田の勢いがいいのは、もしかしたらこの一度きりだったかもしれません。でも、彼女の気合が胸にびしっと響いてくる場面です。私はここで、この人についていこう、と決めました。
 吉田はほとんど何も知らないままひとめぼれした相手(エノマタさん)を追いかけて、札幌から東京へやってきます。しかし話はなかなか進展せず、地道に追跡活動を続けた末にようやく彼と会うきっかけをつかむのですが……と思わせぶりにあらすじをたどりましたが、あらすじで読む小説ではありません。ぐるぐるかきまわしてぴたっと配置したような素晴らしい細部を、こちらもぐるぐるしながら読んでおもしろがる小説だと私は思います。
 たとえば、こう。第一章の「金瓜」で、語り手はエノマタさん。

 ルノアールという喫茶店でアイスコーヒーをのんでいたら、比喩ではなくて、胸がふくらんでいくのを感じた。よいことが起こりそうな予感がわたしの薄い胸をふくらませたのだった。

 ちょっとちょっと、エノマタさん、それ、比喩だから。そうつっこみたくなります。予感で胸がふくらんでいくという場合、胸がふくらむのは比喩でしょう。でも、会話文じゃなく地の文に書いてあるから、誰もつっこめないんです。わざとそういういたずらをするんですね、この著者は。そして読者には、このエノマタさんというひとがどういうひとなのか、おぼろげにわかってくる仕掛けになっているんです。
 恋愛小説としての醍醐味もあります。でも、これがはたして恋愛小説かどうか定かではありません。どきどきするはずの台詞が素通りされていたり、なんでもないような会話に引っかかったり、ふたりの恋愛はなんだかおかしな様相です。
 そもそもこれは小説なのか、と疑問を感じた瞬間さえありました。臨場感があって写実的で。とってつけたような起承転結はなく、成り行きの加減が絶妙で。
 登場人物がみんな勝手に動きます。その変さ、おかしさが、小説の中で作り込まれたものでなく、ちょっと身に覚えがあるような、いやものすごく身につまされるような変さおかしさで、読んでいて私は背後を振り返りたくなりました。ええ、比喩ではなく。うしろから著者に見られているような気がしたからです。
 金瓜。寝よだれ。あらかさま。じゃばら。ばかたれ。けだし君かと。すごろく。はしばしの。麝香。全九章のタイトルを眺めているだけで、そわそわ、わくわくしてきます。
 そわそわして、わくわくして、にやにやして、ひやっとして、読み終えてしまいました。でも、まだ終わってない感じがしています。はじまったのもどこからなのかよくわからないままでした。めったにない読書体験です。ぜひ、ためしてみてください。

 (みやした・なつ 作家)

朝倉かすみ『とうへんぼくで、ばかったれ』978-4-10-332341-9