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書評・エッセイ

もういい加減にしてくれ

烏賀陽弘道『報道の脳死』

烏賀陽弘道

 東日本大震災から1年を迎える直前、3月4日付の新聞に、岩手県宮古市の女の子「さくらちゃん」の記事が出ていました。震災の日に生まれ、祖母がその日に津波で亡くなった。「いのち 受け継ぐ」という見出し。たくましい生命の物語です。感動的でした。しかし私は「もういい加減にしてくれ」と叫びたくなりました。朝日、読売、毎日の各紙が、まったく同じ日にまったく同じ話を掲載していたからです。それは「3.11報道」で新聞テレビが一年間繰り広げてきた「えくぼ記事」(美談報道)そのものでした。
 2011年3月11日に始まったあのクライシスの数週間、新聞やテレビ報道を見れば見るほどイライラしなかったでしょうか。津波の被災地がどうなっているのか、原発事故がどうなっているのか、さっぱりわからなかったのではないでしょうか。その代わりに並ぶ、うすっぺらな美談記事。「ここまでダメとは思わなかった」とあきれ果てなかったでしょうか。
 私もその一人です。「3.11報道」をひとつのケーススタディとして「日本の新聞やテレビ報道はどうしてここまでダメになったのか」を検証してみよう。そう思い立って書いたのがこの本です。方法は簡単です。毎日の紙面をチェックして「えくぼ記事」「カレンダー記事」「セレモニー記事」などのパターンに分類していったのです。そうすることで、新聞やテレビがいかに凡庸な視点で現実を伝えているか、わかります。
 それは、かつて私が17年勤めた朝日新聞社で体験した新聞社の世界そのままでした。新聞記者としてそうしたえくぼ記事を書いていた側でもある私には、痛いほどわかりました。新聞社は、私が新米だった26年前から抱えていた病気を何も治療していないのだ、と。現在の報道は「3.11」がきて急に「悪化」したのでも「突然死」したのでもありません。これまでずっと悪化を続けていた慢性病が、最過酷条件で露呈したにすぎません。
 巨大地震、津波、原子力発電所事故というクライシスが三つ束になって襲ってきた「3.11」は、最烈度の危機でしょう。これより上は「全面戦争」くらいしかない。今回見せた実力が、日本の新聞やテレビの「自己ベスト記録」なのです。これ以上の実力は、逆さにして振っても出てきません。彼らは揃いも揃って実力試験に落第したのです。
 3.11のように、市民が生死をかけた判断をしなくてはならない時に役立たない「報道」に何の価値があるのだろう。どんな存在意義があるのだろう。「報道の脳死」を宣言すべき日がやってきた。私はそう思うのです。

 (うがや・ひろみち ジャーナリスト)

烏賀陽弘道『報道の脳死』978-4-10-610467-1